凸国峰城の尾根筋に築かれた山城 東西約200mの尾根筋上、標高662mの高所に築造された山城であり、北方の国峰城方面が一望に俯瞰できる。 戦国期小幡氏の城郭の一つとも考えられているが、その詳細については必ずしも明確であるとはいえないらしい。国峰城の前身とされ、すでに応永年間(1394−1427)に築城されたとの説もある。地理的に見ても国峰城への尾根続きに所在していることから、国峰城の物見或いは詰城として機能していたものと考えることができるが、これもあくまでも推測の域を出るものではないのであろう。
( 2011/05/07 記述) 凸 足に優しく記憶は遠のく 山城探訪のなかで、何が楽かといえば城跡直下まで車でアプローチできることですが、この山城も実質の比高差は40m前後くらいだったかと記憶しております。充実感、達成感を別にすれば足回りの衰えが目立つ年代には誠に有難い環境で嬉しい限りなのでありました。 主な遺構は東西方向に並ぶ3ヶ所の郭とこれに伴う堀切、土塁、腰郭等。なかでも最大の見所は郭群の北西方向に穿たれた堀切の存在です。 現状の深さは郭側で4mから5mに過ぎないものの切れ込みの幾何学的角度が美しく、 併せて両側の竪堀遺構も明確に残存しております。また残存遺構で見る限りでは、国峰城と直接尾根続きとなる北西方向に防御が集中していることも確認できました。 その眺望及び比高差と相俟って小幡氏の本城である国峰城の詰城として捉えた場合には最適の立地条件を具備していることが窺えたのでありましたが、時の流れと共にその他の諸々の遺構の詳細については撮影画像と現実の地形との間における確かな記憶が薄れ始め、熊出没注意の標識ばかりが記憶に残り...(汗) なお2011年西方の約1.8kmに所在する藤田城方面を訪れていますが、地理的には藤田峠を介して尾根筋で近接しているものの、その具体的な相互関係については推測がつきませんでした。
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