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群馬県みなかみ町の城館索引へ戻る 味城山の砦 味城山の砦のロゴ 味城山の砦
1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  小川城 小川陣屋 
所在地
 群馬県利根郡みなかみ町月夜野、羽場
歴史、人物、伝承

小川可遊斎籠城とも伝わる
 標高757.4mの山上で旧月夜野町と新治村の境界に位置し、小川城からの比高は約200mほどの山城である。播磨地方の名族である赤松則村の末裔とも伝わる小川可遊斎(5代小川家当主、沼田氏の分流)の武勇伝でも(※一時は真田氏に従っていた時期もあることから「加沢記」などでは武略に優れた猛将として記されている)知られた小川城の西方約1kmの山上に所在している。天正8年(1580)5月、小川城落城の際に残された城兵とともに一時はこの山城へ立て籠もったとも伝わるが、糧秣不足などにより越後方面へと逃れたとも伝わる。
 可遊斎は内紛などにより後継の絶えた小川氏(沼田氏一族)の後継者となったとされているが、その出自や没年などについてはかなり不明な部分が多いようだ。現地解説板などによれば、明応元年(1492)小川家初代(沼田氏分流、約3500石とも)の小川景秋(岡林斎)により東麓の小川城が築城されたと伝わるというが、この「味城山の砦」の築城時期や背景の詳細は明確ではない。永禄3年(1560)長尾景虎(のちの上杉謙信)の越山に伴い、小川氏を含む沼田一族はその幕下に加わり後北条氏による上野支配に対抗した模様である。しかし、天正6年(1578)謙信の死去には、後北条氏の攻勢が強まり武田氏(真田氏)に従い上野方面の侵攻支配を担っていた真田昌幸とともに明徳時城の攻略などにも加わったという。その後後北条氏の攻勢に対しては真田氏も加勢して小川城を防衛したが、天正8年(1580)北条氏邦の大軍により小川城は落城し、可遊斎は越後方面に逃れた(※この越後への退避は「加沢記」では「天正8年5月中旬小川を落ちて北国にこそ浪人したりける」と記されている)ともいわれているが、この辺りの経過と可遊斎のその後については異説もありはっきりとしたことは分からないが、その後裔は上杉家の馬廻りとして仕えたらしい。別名を見城の柵ともいう。

確認可能な遺構
 郭、堀切など
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2014年5月5日 東麓からの遠望のみ (^^ゞ
訪城の記録 記念撮影

 永遠の遠望
 2014年5月東麓の小川城に立ち寄った際にちらっと遠望しただけです。知り合いの方々のサイトを拝見いたしますと、おそらく東側の谷筋方面からアプローチするルートがあるらしいのですが、気力と体力が欠乏していることもあり未だに出向いてはおりません。思い起こせば10年ほど以前から次第に足回りが弱体化し始めました。初めは直登や斜面トラバースなどの際に足首に思うように力が入らないという程度のものでしたが、現在ではストックを使用していても簡単にコケてしまうのであります。自分の年齢を考えますと、この辺りでは名胡桃城近くの富士浅間山砦などとともに永遠に遠望したのみの城跡となりそうです (^^ゞ
( 2018/1/14 )記述
味城山の砦 ⇒ 画像クリックで拡大します
味城山の砦 −画像A−
( 2014年5月5日 撮影 )
この東側からの谷筋を西へと進み高圧線鉄塔の辺りから道なき道を登り詰めるというらしいのですが・・・


味城山の砦 ⇒ 画像クリックで拡大します
観光案内板 −画像B−
( 2014年5月5日 撮影 )
 味城山の砦(見城の柵)に関する解説が記されている観光案内板です。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林)
「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「群馬の古城 全3巻」(山崎 一 著/2003/あかぎ出版)

■郷土史・歴史
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)
「戦国史 上州の150年戦争」(上毛新聞社)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「図説真田一族」(2015/戎光祥出版)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)
 ※同書によれば、「上野邦利根郡の国人 。同郡小川発祥。赤松則村の末裔と伝える。上杉謙信に属した沼田衆の筆頭格。永禄12年(1569)の北条氏との和睦交渉で上杉方の使者として活躍している」と記されているのみで、生年、没年などの記載は無い。
「増補改訂 戦国大名と外様国衆」(/戎光祥出版)
「戦国人名事典」(2006/吉川弘文館)

■史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)  ※諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「戦国軍記事典―群雄割拠編」(1997/和泉書院)

■データベースほか
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース)
「国土地理院航空写真」
「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクション ※ダウンロード可能)

・2018年1月14日 HPアップ
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