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群馬県甘楽郡甘楽町の城館索引へ戻る 倉内城全景 倉内城のバナー 笠塔婆
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/12/13のブログ 長根城 長畝の砦
所在地
 群馬県甘楽郡甘楽町大字天引字倉内
歴史、人物、伝承

倉内弾正の居城と伝わる
 甘楽町史によれば、山崎一氏作成の縄張図(1977年2月)とともに構造の詳細について記されている。それによれば東西115m、南北130mの城域を有し、本郭は東西70mから100m、南北80mを測り南側を除いて帯郭状の地形に囲まれていた様子が窺える。しかしその現状は近年の宅地化などに伴い、東側並びに北側の崖線部分に僅かに城跡らしさを残すのみとなっている。
 城跡の経緯についても倉内弾正(小幡信高とも)の城跡と伝わり、白倉城の白倉氏と争ったとされるのみでその詳細は不明である。村高は天引村全体でも「寛文郷帳」では774石に過ぎず、あくまでも小規模な在地領主階層から発達した館城であったという印象が強い。

確認可能な遺構
 台地の切岸など
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年12月13日 12時10分から12時40分
訪城の記録 記念撮影

( 2011/05/12 記述)
 正しく城跡
 東西を天引川とその支流に挟まれた南から伸びる丘陵先端部に占地する小規模な城館跡です。下記の画像のように、台地全体としては城跡に相応しい地形を示してはいますが、近年の宅地化、耕地化の進行により遺構自体はほぼ消滅しているに等しく、全体的には城跡らしさを捉えづらいものがありました。
 無論、東辺の台地斜面に残る切岸の一部?と思われるような地形、郭内の堀底道?、西辺から北辺の崖線部分などに城跡としての痕跡を辿ることはある程度可能なのかも知れませんが、如何せん些か厳しいという印象でした。

倉内城の全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
倉内城の全景
( 2008/12/13 撮影 )
訪城アルバム
東側の台地斜面
笠塔婆 ⇒ 画像クリックで現地解説板へ
凸1 東側の台地斜面
 城跡の中心部には明確な遺構を確認できず、僅かに城跡の東側には比高差7mほどの台地の斜面が城跡の名残りを伝えているのかもしれません。
凸2 笠塔婆
 城跡の南部に祀られている古い墓石で、鎌倉時代後期の正安元年(1299)10月20日の銘が刻まれているとのことですが、城跡との関係については不明です。
交通案内

・水田面からの比高差は約20m

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)

■郷土史
「甘楽町史」(1979/甘楽町)
「角川地名大辞典10」(1988/角川書店)

・2011/05/12 HPアップ
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