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群馬県藤岡市の城館索引へ戻る  吉良上野介陣屋跡 吉良上野介陣屋跡
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/10/21のブログ 白石の砦 落合の砦
所在地
 群馬県藤岡市白石上郷269
歴史、人物、伝承

伝・吉良上野介生誕の地
 「多野郡誌」等によると、足利幕府以来の名門である高家旗本の吉良家は延宝2年(1674)から元禄15年(1703)の改易に至るまでの間において、この白石村中郷に840石を領有(始めは幕府、のちに吉井藩との相給)し、家臣の長船氏にその支配を委ねていたとされている。
 また上野介の父若狭守の正室が伊香保温泉からの帰途にこの館に立ち寄り、忠臣蔵の仇役として名高い吉良上野介義央を生んだとの伝承が残り、こうした背景から当地においては忠臣蔵の芝居は上演されることはないともいう。

確認可能な遺構
 井戸跡(伝承)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年10月21日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/11/21 ) 12時05分から12時10分
 旗本吉良氏の代官陣屋か
 遺跡の名称ではしっくりときませんが、忠臣蔵で著名な吉良上野介所縁の陣屋址で、元禄時代には三河の本領とは別に知行の一部としてこの白石の大半を領有していたものと考えられています。発掘調査の概要によりますと、近世溝状遺構7条、柵列を伴う溝状遺構等が検出されていますが、明確な建物(屋敷跡)としての痕跡は確認するには至らなかったと記されています。
 尤も当主は江戸常府のために、所謂代官による支配であったものと考えられますが、有名な上野介の生誕の地とされていることもあり由緒ある近世陣屋跡として捉えることに。また同地には上野介が産湯をつかったと伝わる井戸跡解説板と共に所在しておりましたので取敢えずはのんびりと記念撮影などを。然しよくよく考えますと、城館探訪というよりは寧ろ観光名所探訪のような感じもするのでありました。

「吉良上野介陣屋跡」 ⇒ 画像クリックで拡大します
吉良上野介陣屋跡
( 2008/10/21 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
なし

■郷土史・歴史関係
「多野藤岡地方誌」(1976/同編集委)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)
「角川地名大辞典10群馬県」(1988/角川書店)
「藤岡市史通史編 下巻」(1997/藤岡市)
「白石上郷遺跡(発掘調査年報)」(1996/藤岡市教育委員会)

■史料
なし

■その他
「群馬県文化財情報システム」(文化財データベース)
「吉良上野介を弁護する(文春新書)」(2002/岳 真也 著/文藝春秋)

・2008/11/21 HPアップ
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