山形県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 山形県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
山形県山形市の城館索引へ戻る 山形城東大手門山形城のバナー最上義光像
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/5/15のブログ 長谷堂城 中野城
所在地
 山形県山形市霞城町
歴史、人物、伝承

最上義光の居城
 山形城は最上氏の祖である斯波兼頼(しばかねより)が延文2年(1357)に築城したとされる。
 その後文禄年間にいたり最上義光(もがみよしあき)により二の丸、三の丸を含む十数基の櫓を有する57万石に相応しい大規模な輪郭形式の平城として拡張整備された。なお、それ以前の義光時代の山形城の規模を示す具体的な資料は見当たらないが、支城であった中野城の規模から推察すれば現在の二の丸以上ほどの広さを有していたものと想定してもよいのではないだろうか。
 元和8年(1622)の最上氏改易後には鳥居氏により再整備され以降松平氏、奥平氏、堀田氏、松平氏、秋元氏、水野氏などと続き幕末を迎えたが、明治8年(1875)に至り城内の建造物は全て破却された。
 別名を慶長の出羽合戦(1600)の故事から霞ヶ城(かすがじょう)ともいう。

確認可能な遺構
 石垣、土塁、桝形小口、東大手門復元建造物ほか
文化財指定
 国指定史跡
訪城年月日
 2009年5月14日 6時15分から7時20分
訪城の記録 記念撮影

 ( 2011/6/22 記述 )
 既にこの日で3度目の訪城でした。一回目は11日月曜日の黄昏時。三の丸外廓土塁の方をどうにか見学できました。しかし、山形城の東大手門の前に立ったときには、撮影した画像はこのように全て日没後の夜景という代物となりました。一応ライトアップはなされておりましたが、光量不足のためシャッターがフリーズ。ISO感度を1600にセットしなおしてどうにか撮影に成功。
 2回目は14日木曜日の夕刻。日没までは未だ2時間ほどの余裕がありましたが、運悪く再び雨が降り出して撤退。
 というような次第で3度目の探訪と相成りました。ビジネスホテルでの朝食前の散歩がてら。ところが晴天の予報にも拘らず雲量が多く、全体として下記のように幾分露出不足気味の画像ばかりとなりました。一番人気のなさそうな何処となく地味な印象の北門にて、のんびりと日向ぼっこ中の人懐こいネコさんと遭遇。暫く遊んでもらったあと、有名な予定通りに最上義光の騎馬像、本丸の復元石垣、東大手門の復元建物などを撮影。東大手門は通行者が多く、石垣による枡型は西門が人通りも少なく最も撮影が容易でした。

最上義光の騎馬像 ⇒ 画像クリックで拡大します
最上義光騎馬像
( 2009/05/15 撮影 )
訪城アルバム
東大手門夜景 ⇒ 画像クリックで拡大します
南大手門 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 東大手門夜景
 デジカメの記録では午後7時5分撮影となっています。時期は5月中旬でしたので大分日が長くなり始めていましたが、生憎と西側には部厚い雲がかかりほぼ夜景モードでした。
凸2 南大手門
 二の丸の大手門です。前日の夕方にはここまで辿りついたところ夕立に遭遇してずぶ濡れとなりました。ここで役立ったのは何時も携行しているA4サイズの資料用バインダー。A3に開いてデジカメを雨からしっかりと防御。

西不明門付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
西不明門 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 西不明門付近
 西不明門に架かる橋を東側の土塁上から撮影したものです。
凸4 西不明門
 朝早かったこともあり、人の姿もなく、派手な幟旗もなく落着いた佇まいを見せておりました。

北門付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
復元本丸遺構 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 北門付近
 北門付近の水堀と石垣。南大手門から西不明門、北門付近までは二の丸内郭の遺構も良好に遺されています。
凸6 復元本丸遺構
 現在も復元中の本丸遺構ですが、戦時中には陸軍歩兵第32連隊本部等の軍用地として利用され、本丸と二の丸を隔てる堀跡は明治期に埋め立てられていたとのことです。

東大手門桝形 ⇒ 画像クリックで拡大します
東大手門 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 東大手門桝形
 二の丸東大手門内に再現された桝形小口で二の丸に四か所(現存)本丸に二か所(復元一か所)の計六か所が存在していたとされています。
凸8 東大手門
 古写真などを基に1991年に木造建築で復元された東大手門付近の建造物群。撮影するならばやはり午前中がベストのようです。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「定本日本城郭事典」(西ヶ谷 恭弘 編/2000/秋田書店)
「日本城郭辞典」(大類 伸 監修/1992/秋田書店)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「日本の名城・古城事典」(1989/TBSブリタニカ)
「ビジュアルガイド日本の城」(2005/小学館)
「日本の城」(2009/山川出版社)
「中世・戦国 江戸の城」(2004/新人物往来社)
「城郭みどころ事典 東国編」(2003/東京堂出版)
「江戸三百藩 城と陣屋総覧 東国編」(2006/学研)
「精選 日本の名城」(2006/新人物往来社)
「新撰 日本の名城」(2007/新人物往来社)
「日本100名城 公式ガイドブック」(2007/学研)
「図説日本100名城の歩き方」(2010/川出書房新社)
「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)

歴史・郷土史関係
「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)
「山形県の歴史」(1998/山川出版社)
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
「山形藩」(2007/横山明男 著/現代書館)

史料、地誌、軍記物
「奥羽永慶軍記」(2005/無明舎出版)
「最上義光物語」(1989/教育社)


・2011/6/22 HPアップ
トップ頁へ 山形県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動