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山形県山形市の城館索引へ戻る 長谷堂城主郭長谷堂城のバナー長谷堂城
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/5/15のブログ 菅沢山本陣
所在地
 山形県山形市長谷堂
歴史、人物、伝承

長谷堂城合戦の舞台
 慶長5年(1600)東国の関ヶ原合戦ともいわれる出羽合戦の中心となった最上氏側の著名な城郭であり本城山形城西方の一大拠点であり、城将志村伊豆守光安を始めとして3千人から5千人が籠城したとも伝わる。
 一方総勢2万人とも呼称され畑谷城を陥落させ狐越街道を東へと進軍した上杉軍の主将直江山城守兼続の本陣は北方の菅沢山に置かれ、9月半ばから半月の間この長谷堂城と対峙することとなった。9月29日関ヶ原での西軍の敗報が伝わるまでの間、小競り合いを繰り返して半月の間戦線は概ねこう着状態となった。しかし上杉軍の撤退にあたり、伊達氏の支援を受けた最上氏側が追撃し、双方に多数の死傷者が発生した。
 上杉方菅沢山本陣の丘陵地帯との間は水田地帯が広がり双方ともに見通しがよく、共に大規模な軍勢の移動については視界を遮蔽するものが介在していない。

確認可能な遺構
 主郭、帯郭、郭、土塁、空堀、小口
文化財指定
 なし(長谷堂城跡公園として整備されている)
訪城年月日
 2009年5月15日 9時30分から11時20分頃まで
訪城の記録 記念撮影

 ( 2011/6/17 記述 )
 東国の関ヶ原合戦の舞台としてある程度有名なかの長谷堂城。NHK大河ドラマ後半の方の目玉となることもあり、平日であるにもかかわらず観光バスで高齢者の団体が来訪中でした。大型駐車場完備、清潔なトイレ完備、山城も革靴で歩けるほどに歩きやすく整備されておりました。腰郭、帯郭の大半はやや草が生育中でデジカメ撮影にはやや不向きな個所もありましたが、見学そのものには支障ありませんでした。腰郭を柵で囲んだ復元方法は分かりやすく親切でしたが、場所によっては整備されすぎの傾向は無くもないところもあり、明らかに腰郭が散策路整備で真っ二つに分断されておりました。
 比高差が約80mほどの割には眺望に優れ、直江兼続の本陣が置かれた西側の菅沢山も一望できます。また主郭からは山形城、天童城方面も一望できます。山城の城跡自体は思いのほか広大ではないことから、篭城可能な兵力は麓の外郭などにある程度分散したとしても500名あたりが限度なのかとも思われました。

長谷堂城 ⇒ 画像クリックで現地解説板へ
長谷堂城主郭
( 2009/05/15 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「南出羽の城」の略測図等を参考にして作成いたしました。
長谷堂城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
復元水堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
横堀と土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 復元水堀
 城跡北方八幡神社の東麓に復元整備されていた水堀跡です。
凸2 横堀と土塁
 主郭北方に所在する尾根筋を防御する遺構で、画像、左上に菅沢山本陣を望むことができます。

帯郭と切岸 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭からの眺望 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 帯郭と切岸
 主郭北側を中心として明確な切岸を伴う郭、帯郭群が良好な状態で残されておりました。
凸4 主郭からの眺望
 長谷堂城の主郭からは、上杉方の陣城となった菅沢山本陣、進軍・撤退に利用された狐越街道(富神山山麓)方面が一望できます。

郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
二重土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 
 東側の郭群で3段の削平地から構成され、丸太を使用した木柵が最上部の郭辺縁部に弧を描く様にして復元されておりました。
凸6 二重土塁
 城跡の西側中腹部に残る横堀状の遺構で、長谷堂合戦時に防御強化されたもののようにも思えます。

主水塚 ⇒ 画像クリックで拡大します
長谷堂城全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 主水塚
 上杉方の武将上泉泰綱を始めとして両軍の討死を遂げた200名余りの人々を埋葬したと伝わる地で、長谷堂城の北方に所在しています。
凸8 長谷堂城全景
 菅沢山本陣側から眺望した全景です。標高230m、最大比高差85mを測る要害ですが、永正年間には伊達稙宗により落城させられています。
交通案内

・比高差約85m

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「日本の名城・古城事典」(1989/TBSブリタニカ)
「ビジュアルガイド日本の城」(2005/小学館)
「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)
「出羽諸城の研究」(沼舘 愛三 著/1980/伊古書院)
「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)

歴史・郷土史関係
「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)
「山形県の歴史」(1998/山川出版社)
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
「上杉氏分限帳」(2008/高志書院)

史料、地誌、軍記物
「奥羽永慶軍記」(2005/無明舎出版)
「最上義光物語」(1989/教育社)

・2011/6/18 HPアップ
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