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山形県天童市の城館索引へ戻る  二階堂遺跡の堀跡二階堂遺跡のバナー二階堂遺跡の標柱
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/05/12のブログ 成生城 天童陣屋
所在地
 山形県天童市大清水字二階堂
歴史、人物、伝承

二階堂氏屋敷説ほか
 鎌倉期の有力御家人である二階堂氏の屋敷(館)という説、時宗寺院佛向寺(現天童市内在)創建の地という説、成生荘地頭政所説などの諸説が提起されていますが、近年における発掘調査の経緯を踏まえても遺構としての性格・時期を確定するまでには至っていない模様です。

確認可能な遺構
 堀跡
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年5月12日 7時50分から8時10分
訪城の記録 記念撮影

 小雨模様 ( 2010/09/26 記述 )
 雨は断続的にやや小降りのまま。本降りになりかけたかと思うと何時の間にか小止みにという繰返し。最上川とその支流による地形的な影響が少なくないものと思われます。前日に予め天候を予測して遺構の少ない平地の城館跡ばかりを抽出しておいたものの、なるべくならば傘を差しての探訪は極力避けたいところ。山形2日目のこの日を含めて、この時点では全日程がほぼ雨に左右される行程になろうとは思いもよらず...
 肝心の遺構の方は、堀跡といえば堀跡のような窪みが北側および東側を中心にしっかりと現存しておりますが、西側と南側については水田耕作のため消失しています。水田地帯の休耕地等を含むために草の生育が顕著で、この季節では標柱や説明版の存在がなければ、まず新たに開削された水路等との区別がつきそうもない遺構ではありましたが(汗)

二階堂遺跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
二階堂遺跡の堀跡遺構 −画像A−
( 2009/05/12 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)「南出羽の城」掲載の略測図等を参考にして作成いたしました。

城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
北辺の堀跡遺構 ⇒ 画像クリックで拡大します
史跡標柱 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 北辺の堀跡遺構
 北辺の堀跡遺構上には養魚場の小屋が立ち並んではおりましたが、堀跡遺構そのものが存在していることは確認できます。
 堀幅の規模(約12m)や土地利用の様子から眺める限りでは、古代末期から鎌倉時代初期から続く遺構とは思えない印象も残ります。
凸2 史跡の標柱
 「元佛向寺跡」と記された標柱が設置されておりますが、あくまでも確定したものではなく諸説のひとつであるようですが、「二階堂氏の屋敷跡」と推定する根拠も、字名として「二階堂」の地名が残されていることになどによるものとされていることから、遺構としての性格は確定されてはいないものと思われます。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
→佛向寺跡との説についてはこれを否定し、成生庄地頭に補任された二階堂氏の屋敷跡であるという説を提示し、典型的な古代末期から中世初期の地方豪族の居館の形態であるとしている。

「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)
→「安元2年(1176)の『八条院領目録』(内閣文庫)に成生とみえており、それ以前に摂関家としての成生荘が成立し、平安末期には皇室領となった」との説を提示。これに続け、「成生荘地頭には、二階堂氏と中条氏をあてる」説のあることを紹介し、「小字が二階堂となっており、二階堂氏の館跡ではないかと考えられてきた」と従来説を示し、「なお、遺跡には弘安元年(1278)、一向上人開山の時宗仏向寺跡とする伝承も残っている」と記し、近年の発掘調査の成果を踏まえつつも遺構の性格について明言を避けている。

「中世出羽の領主と城館」(伊藤 清郎ほか著/2002/高志書院)

「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)
→時宗佛向寺跡との説を示しつつ、中世の居館跡或いは二階堂の地名から成生庄地頭に補任された二階堂氏に関連する遺跡という説を提示している。

歴史・郷土史関係
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「山形県の歴史」(1998/山川出版社)
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
→二階堂屋敷を中世土豪屋敷として推定している。

「天童市と天童古城」(2005/天童市立旧東村山郡役所資料館)
「天童市の文化財」(2008/天童市)

「天童の地名考」(1997/天童市立旧東村山郡役所資料館)
→小字「二階堂」については、二階堂氏の屋敷跡があったという伝承に由来するという説を示し、成生庄地頭二階堂氏屋敷跡、同政所跡、佛向寺創建の地という3説を掲載している。

「天童市史 上巻」(1981/天童市)
→しばしば出羽守に任じられた二階堂氏について述べるなかで、「大清水には、二階堂という地名があり、二階堂池跡も残っており、二階堂氏の居館と推定される所がある」と記し、「成生庄には中條氏や二階堂氏が地頭職を持っていたらしいが、庄地頭職であったのか、郷・村地頭職であったのか、詳細は不明である」としている。

史料、地誌、軍記物






・2010/09/26 HPアップ
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