凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)
■城郭関係
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
→佛向寺跡との説についてはこれを否定し、成生庄地頭に補任された二階堂氏の屋敷跡であるという説を提示し、典型的な古代末期から中世初期の地方豪族の居館の形態であるとしている。
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「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)
→「安元2年(1176)の『八条院領目録』(内閣文庫)に成生とみえており、それ以前に摂関家としての成生荘が成立し、平安末期には皇室領となった」との説を提示。これに続け、「成生荘地頭には、二階堂氏と中条氏をあてる」説のあることを紹介し、「小字が二階堂となっており、二階堂氏の館跡ではないかと考えられてきた」と従来説を示し、「なお、遺跡には弘安元年(1278)、一向上人開山の時宗仏向寺跡とする伝承も残っている」と記し、近年の発掘調査の成果を踏まえつつも遺構の性格について明言を避けている。
「中世出羽の領主と城館」(伊藤 清郎ほか著/2002/高志書院)
「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)
→時宗佛向寺跡との説を示しつつ、中世の居館跡或いは二階堂の地名から成生庄地頭に補任された二階堂氏に関連する遺跡という説を提示している。
■歴史・郷土史関係
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「山形県の歴史」(1998/山川出版社)
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
→二階堂屋敷を中世土豪屋敷として推定している。
「天童市と天童古城」(2005/天童市立旧東村山郡役所資料館)
「天童市の文化財」(2008/天童市)
「天童の地名考」(1997/天童市立旧東村山郡役所資料館)
→小字「二階堂」については、二階堂氏の屋敷跡があったという伝承に由来するという説を示し、成生庄地頭二階堂氏屋敷跡、同政所跡、佛向寺創建の地という3説を掲載している。
「天童市史 上巻」(1981/天童市)
→しばしば出羽守に任じられた二階堂氏について述べるなかで、「大清水には、二階堂という地名があり、二階堂池跡も残っており、二階堂氏の居館と推定される所がある」と記し、「成生庄には中條氏や二階堂氏が地頭職を持っていたらしいが、庄地頭職であったのか、郷・村地頭職であったのか、詳細は不明である」としている。
■史料、地誌、軍記物
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・2010/09/26 HPアップ
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