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山形県寒河江市の城館索引へ戻る  長岡陣屋の遺構長岡陣屋のバナー郡役所跡(長岡民政局跡)
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/05/12のブログ 寒河江代官陣屋 柴橋代官陣屋
所在地
 山形県寒河江市寒河江(長岡山)
歴史、人物、伝承

長岡山の戦い
 文久3年(1863)8月、幕府は大規模な百姓一揆対策を理由として寒河江、柴橋両代官陣屋を統合する構想を示した。これに対して地元の村民は旧寒河江城本丸への移転存続を嘆願した。しかし、幕府は寒河江北西の長岡山に統合陣屋建設を決定し、慶応3年(1867)8月から両陣屋付の村々から述べ3万6千人の村民を動員しその普請に着手し、土塁・空堀を備えた陣屋を突貫工事で完成させたという。
 陣屋は東西60間(約108m)、南北120間(約216m)の規模を有し、土塁高さは1間余り(約2m)、3か所の郭を配する城郭であった。陣屋建造物は戊辰戦争により焼失したが、現在は公園整備などによりグランド、野球場、ツツジ園などが設置されているものの、凡その郭構成は把握できる。(「国別城郭・陣屋・要害台場事典」より)
 なお「長岡山の戦い」は、奥州戦線における東軍の敗色濃厚となった明治元年(1968)9月20日(新暦11月4日)に桑名・庄内・唐津藩兵約300名と官軍(西軍)約2500名の間で行われ、長岡山に立てこもった東軍が敗退し白岩・慈恩寺方面へと退却したという。(「紀行奥羽戦争」より)

確認可能な遺構
 土塁、陣屋跡(長岡民政局跡)標柱あり
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年5月12日 12時20分から13時00分
訪城の記録 記念撮影

 幕末遺構 ( 2010/09/15 記述 )
 複郭の証左となるべく幕末に構築された土塁の一部が現存しています。ただし市営グランドとツツジ公園の中であるため、相応の地形改変が施されておりました。訪れましたのは折からツツジ祭りの真っ最中で、花に向かってデジカメを向ける多数の人々のおいでになる中、こちらはただひたすら花の無い土塁に向かってシャッターを押し続けるのでありました(笑)。
 但し近世代官陣屋とはいっても、こちらは「長岡山の戦い」が行われた戊辰戦争当時の歴史のある代官陣屋なのであります。なおこの日は、なかなか天候が読めないので本格的な山城方面には近寄れないのでありました。
 また翌日の天童市の舞鶴山(天童古城跡)にて、ツツジを見学にこられた観光客の何組かのご夫婦に、この長岡山のツツジ情報(移動所要時間、道路アクセス、今が見頃、売店あり)を提供。因みに舞鶴山の方のツツジは本数も少なく、それよりも麓の神社付近の方が見ごたえがありますなどとガイドも。あ、特に寒河江市方面から依頼されているという訳ではありませんでしたが。

「長岡民政局跡」の標柱 ⇒ 画像クリックで拡大
長岡民政局跡(長岡陣屋跡)の標柱(郭跡のひとつと推定)
( 2009/05/12 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については現地での印象等に基づいて作成いたしました。

長岡代官陣屋跡の概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
大蛇伝説の松 ⇒ 画像クリックで現地解説板へ
陣屋跡の土塁遺構 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 大蛇伝説の松
 本姓のグランドを周回する土塁の一部に生育する「おおとかげ」を退治したと伝わる異形の松ですが、伝説というほど樹齢のある古木ではなさそうです。根周りが相当に踏み固められているため、柵などで囲い土を解す必要がありそうです。
凸2 陣屋跡の土塁遺構
 ツツジ園西側に残る土塁跡。高さ2mから3m、延長約100に及ぶ土塁が、坂道に沿って確認できます。画像右側が郭内に相当するものと思えますが、とりたてて近代の銃撃戦を想定している傾向は感じられません。

「練兵場?」東側 ⇒ 画像クリックで拡大します
「練兵場?」西側 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 「練兵場?」東側
 現在は市営グランドとして利用されていますが、幕末期の練兵場として使用されていた模様です。折から高校生が周回300mから400mほどのトラックで長距離走の集団練習を実施しておりました。
凸4 「練兵場?」西側
 同じく、その西側部分で大半は観客用?の雛壇が設置されておりました。幕末期の軍事訓練と現代の陸上競技練習の目的は異なりますが、体を鍛えるという側面では150年以前と相通じるものがあるのかも知れません。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「国別城郭・陣屋・要害台場事典」(西ヶ谷 恭弘 編/2002/東京堂出版)

歴史・郷土史関係
「山形県の歴史」(1998/山川出版社)
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
「紀行 奥羽戦争」(柳 敏之 著/2000文芸社)

史料、地誌、軍記物


その他
寒河江市公式HPより


・2010/09/15 HPアップ
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