凸近年に確認された城館跡 最上川西岸に所在する単郭方形の居館だが詳細な経緯は不明の模様である。「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)に収録されている城館遺構であり、「山形県中世城館遺跡調査報告書」/1996/山形県教育委員会)の悉皆調査には含まれてはいない。 付近には白鳥氏関連の居城とも伝わる白鳥城および同家臣の日影楯などの遺構群が存在していることから、白鳥氏との間に何らかの関連を有する勢力等との関わりも想定されるがあくまでも推測の域を出ない。
凸 単郭方形の居館跡 ( 2010/12/04 記述 ) この日は天候と覇裏腹に腹具合が不良。それでも比高差のある山城は無理でも平地の神社ならばどうにかという体調。稲下集落西側の鎮守である稲荷神社境内の城館遺構は、北辺と西辺に残存する土塁と空堀跡からなっております。 空堀の深さ自体は最大でも背丈程度ですが、その数mに及ぶ堀幅を伴い単郭方形の居館形式遺構の典型のような佇まいを伝えています。空堀の内部には高さ80センチmほどの土塁がめぐらされ、また北西角部分には櫓台状の地形も見ることができますが、後世における地形改変の可能性も否定できません。 何れにしても神社境内地の形状に合わせた小規模なものではないことから、天明6年(1786)と伝わる稲荷神社の勧請に伴う普請に直結するようなものでないことだけは確実であると考えられます。
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