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栃木県佐野市の城館索引へ戻る 吉水城周辺 吉水城のバナー 吉水城周辺
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008年11月23日のブログ 興聖寺城
所在地
 栃木県佐野市吉水
歴史、人物、伝承

一時は本多正純の居城
 現地の古碑などによれば、元和2年(1616)4月に徳川家の重臣本多正純が佐野領41か村合わせて4万石を拝領した際に築城したものと伝わるという。その後正純は元和5年に宇都宮15万5千石を賜り栄華を極めたが、元和8年(1622)城普請に端を発した重臣間の権力闘争に敗れ断絶改易処分となった。吉水城についてもほぼ同時期に廃城となったものと推定をされている。
 城域については西方の興聖寺城と重複する部分が少なくないものと想定され、また「佐野領御館野林清水御城内」においても「清水城」とあわせて「吉水の城」と記されているともいう。

確認可能な遺構
 石碑のみ
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年11月23日 14時25分から14時40分
訪城の記録 記念撮影

 宇都宮15万石へと移封になる以前、佐野4万石を領した本多正純を城主とした近世城郭とされています。しかし城跡と推定されている興聖寺東側の区域は近年の区画整理の施行により完全に消滅したもようです。このため現在では、ほぼ全面的に宅地化され城跡としての面影は見られません。強いて言えば地内の公園には築30年物の新しい土塁(滑り台兼築山)が所在しています(笑)。期待はしなかったものの矢張りテンションは低下の一途を辿っていきました。
  然しそうしたなかで帰りがけに、偶然人気の全く無い公園内(新吉水公園)にてやや古びた石碑を発見。よくよくその文面を眺めますと、やれ嬉や何と「吉水城」の3文字のほかに「本多上野介正純」などの文字がしっかと刻ざまれておりました。
大正3年の建立とはいえ正真正銘の城址碑(乃至は城址関係古碑)であることだけは相違ないようでした。とはいえ風化や苔の汚れが目立ち、文字部分も剥離寸前なのが何処か寂しげで、碑文の約半分ほどが判読困難になっておりました。「信吉」と刻まれている個所は下野佐野藩の佐野信吉を指しているものとは思われるのですが...
( 2011/7/4 記述 )
吉水城跡の石碑 ⇒ 画像クリックで拡大します
吉水城の古碑
( 2008年11月23日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)

・2011/07/04 HPアップ
・2011/07/13 記述追加
・2019/06/12 画像ズレ補正
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