栃木県内市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 栃木県内市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動

素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

栃木県足利市の城館索引へ戻る 名草城 名草城のバナー 主郭小口部分
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月2日のブログ 本覚山城 南氏館
所在地
 栃木県足利市
歴史、人物、伝承

南宗継の築城とも
 南北朝初期に高氏の一族である南遠江守宗継が築城したとの所伝があるという。山麓には築城者の菩提寺である清源寺および墓所も所在する。また戦国時代後期には足利長尾氏の有力家臣として名草に居住し、南掃部之助が300貫文を知行されている。(「近代足利市史1」などより)
 南北朝期に築城された山城について、最終的に戦国期に一部改修したものと考えられる。

確認可能な遺構
 小口、土塁、堀切、腰郭、帯郭
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年2月2日 14時00分から16時50分
訪城の記録 記念撮影

 南氏の墓所・菩提寺である清源寺の駐車場北西側の個所が登り口のはずでしたが、当該ルートは事前の情報どおりまもなく笹薮に覆われ次第に曖昧となり消失しました。取敢えずは小さな沢の左側のルートをそのまま突き上げることに。 このルートで進んだ先人もいらっしゃるようで所々にマーキングも散見されます。然し、次第に笹薮は密度を増してほぼ通行不能の状態に変貌してしまいましたが、この時点では未だ正面稜線までの比高差は100m以上を残していました。
 沢の源頭部に近づくにつれて斜度の増加と岩場の出現が予想され、かつ思いのほか先日の降雨により足元の地盤が軟弱ということもあり、迂回路をとり進行方向左手の尾根筋へと這い上がることを決断しました。 とはいうものの、始めは笹薮に遮られ、途中からは細い笹に捕まり足場の軟弱な急斜面を這い上がり、ついに最後は茨しか掴むものがない状態に陥りましが、それでも漸く比高差約40mほどの主郭南部へと続く尾根筋へと無事到達しました。
 登攀した個所は、尾根筋もそれなりの急斜面で、結果的にこの方面に格別の備えが無いことにあらためて納得。 かくして麓からは約1時間以上を要して主郭直下の腰郭部分に到着しましたが、もしも仮に、明確な登山道さえあれば、約40分ほどで到着する可能性もありそうです。
 主郭辺縁部に築かれた楕円状の小口を伴う土塁は概ね残存し、北側および南側尾根筋の腰郭群と堀切も確認できましたが、主郭西側斜面は西方のゴルフ場開発時等に削り取られた可能性ありそうでした。
 さて帰路は東側にのびた比較的見通しのよい細長い尾根筋から下山を開始しました。 途中に所在する階段状の腰郭群を愛でつつそのまま東進していきましたが、先端のピークから咲きの部分はは予想通り枯葉の急傾斜と笹薮に変貌しました。 本来は登り口である清源寺側に下山するつもりでしたが、ルート不明のためにそのまま尾根筋東麓の水田へと下降してしまいました。やはり尾根筋の状況から見て、沢の右側から稜線を真直ぐに目指すルートが本来の道筋なのかも知れません。 最終的な判断として、麓の水田からの比高差は約190m前後ほどかと推定されます。
 別名を城の峰(じょうのとや)ともいうそうですが、この日2か所目の道無き山城は、正に疲労困憊の極致なのでありました。

( 2011/9/1 記述 )
名草城全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
名草城の全景
( 2009年2月2日 撮影 ))

(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」掲載の情報を筆写しています。

名草城の概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
主郭小口付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 主郭小口付近
 小口は南東部に設置され喰い違い構造を有しない比較的簡易な構造のように思われました。
凸2 主郭土塁
 土塁の高さは郭内で約80センチメートル程度、郭内の広さは500平方メートル弱で段差も見られます。

主郭土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
北側の腰郭群 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 主郭土塁
 北側腰郭下部より見上げた主郭と北辺部の土塁遺構です。
凸4 北側の腰郭群
 植林の伐採作業の関係で最も見通しの良かった郭群で4段から5段の三日月型の腰郭を残しています。

南側の堀切 ⇒ 画像クリックで拡大します
腰郭
凸5 南側の堀切
 南側の現存する遺構の南限で堀切の先はゴルフ場の東端部へと続いていました。
凸6 腰郭
 主郭小口直下に所在するやや広めの腰郭で、帯郭とあわせて主郭への侵入を防御する構造となっています。

東側堀切 ⇒ 画像クリックで土橋の画像へリンク
東側の腰郭群 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 東側堀切
 土橋を伴う東尾根上の堀切で深さは、画像の右側で最大約4mを測ります。
凸8 東側の腰郭群
 10段ぼどの半円形の雛壇状の腰郭と帯郭から構成されています。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)

・2011/09/01 HPアップ
・2019/06/10 画像ズレ補正
トップ頁へ 栃木県内市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動