栃木県内市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 栃木県内市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動

素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

栃木県足利市の城館索引へ戻る 南氏館の北側土塁跡 南氏館のバナー 南宗氏の五輪塔
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月2日のブログ 本覚山城
所在地
 栃木県足利市名草中町字堀ノ内
歴史、人物、伝承

南氏の居館跡とも
 足利氏の有力家臣であった高氏の一族である南氏の館跡と推定されている。南氏の祖は高師氏の弟頼基であるとされ、「足利氏所領奉行注文」に奉行人の頭人として南右衛門入道と記されている人物に相当するという。「清源寺本系図」(名草城麓に所在する寺院)によると、南頼基は文永2年(1265)に足利荘丸木郷(現在の名草下町)を知行したことが記されているという。
 館跡は、南遠江守宗継の代、正平年間(T346−1370)前記の築造と推定される。その後、享徳の乱では古河公方勢力として活躍し赤見・樺崎城の合戦で討死を遂げた。また戦国時代後期には足利長尾氏の有力家臣として名草に居住し、南掃部之助が300貫文を知行されている。(「近代足利市史1」などより)

確認可能な遺構
 土塁(北辺、西辺)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年2月2日 13時35分から13時50分
訪城の記録 記念撮影

 金蔵院境内北部の墓地の拡張整備などにより、従来の遺構は一部を残してほぼ消滅している様子です。但し西辺部分は道路面からの盛土跡がブロック塀の設置に伴う改変を経ていますが、土塁跡の位置形状自体は健在でした。
  金蔵院の境内には南氏所縁の五輪塔も所在し、館跡からは北西に所在する南氏の名草城の山城が一望にできますが結構登りがいのありそうな印象を得ましたが、事実このあと訪れて自分の体力の限界を思い知ることとなりました。

( 2011/8/27 記述 )
北側土塁跡の残滓か
北辺土塁の残滓か
( 2009年2月2日 撮影 )
訪城アルバム
南宗氏の五輪塔 ⇒ 画像クリックで現地解説板へ
名草城遠望
凸1 南氏の五輪塔(足利市指定重要文化財)
 真言宗金蔵院内に残る南氏一族の五輪塔。南宗氏のものとされ、永和元年(1375)の銘があるという。
凸2 名草城遠望
 金蔵院境内が南氏館跡とされ、境内からは名草城(画像中央やや左上付近)が一望されます。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)

・2011/08/27 HPアップ
・2019/06/10 画像ズレ補正
トップ頁へ 栃木県内市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動