栃木県内市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 栃木県内市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動

素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

栃木県佐野市の城館索引へ戻る 横小路城 横小路城のバナー 横小路城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008年11月23日のブログ 赤見城
所在地
 栃木県赤見町大門字横小路
歴史、人物、伝承

赤見伊賀守の居城と伝わる
 「赤見村の地誌」によると永禄2年(1559)赤見城主赤見伊賀守は、佐野泰綱の命に反したため赤見城を攻め落とされ常陸へと逃亡した。のちに伊賀守は永禄6年(1563)佐野氏に帰参して大門城を居城としたという。その地理的条件からは戦国時代末期の佐野氏の支城のひとつとも推定される。
 東西約220m、南北約180mの正方形に近い城域を示し、国道沿いを中心として土塁跡を確認することができる。大字大門に所在していることから、別名を大門城(だいもんじょう)ともいう。(「佐野市史資料編1」などより)

確認可能な遺構
 土塁、空堀(?)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年11月23日 12時5分から12時40分
訪城の記録 記念撮影

 道路の拡張整備などに伴いかなり原形が損なわれている様子が窺えますが、県道175号線沿いに延長にして約60mほどの土塁状の地形が現存していました。
 また「佐野市史資料編1」に示されているように、城跡南東側の天満宮境内裏付近にも僅かに土塁を伴う堀跡らしい形跡が残されています。なおも北西部の国道沿いの竹林中にも土塁状の地形を確認できましたが城郭遺構との関連は不明です。全体としてある程度の時間を費やしたものの、地表上に視認できるような残存遺構確認の成果はそこまででした。

( 2011/6/27 記述 )
横小路城の土塁跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
横小路城の土塁跡か
( 2008年11月23日 撮影 )
訪城アルバム
土塁跡
天満宮境内北側の土塁
凸1 土塁跡
 南側から撮影した土塁跡ですが、車の駐車などにより次第に削られているようでした。土塁の高さは約1.5mから2m弱程度でしたが、「佐野市史資料編1」に掲載されている南北方向の土塁遺構に符合しています。
凸2 天満宮境内北側の土塁
 画像右側の宅地造成等により地表遺構の大半は失われているように窺えますが、堀跡状の地表の窪みと僅かな地表の盛り上がりは、かつての遺構の残滓なのでしょうか。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)

■郷土史・歴史関係
「佐野市史 通史編上」(1978/佐野市)、「佐野市史資料編1」(1975/佐野市)

・2011/06/27 HPアップ
・2019/06/12 画像ズレ補正
トップ頁へ 栃木県内市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動