素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録 | |
2009/03/02のブログ 凸城ノ内城 | |
|
千葉県印旛郡印旛村吉高 |
|
|
|
腰郭状地形、土塁状地形 |
|
なし |
|
2009年3月2日 12時15分から13時30分 |
( 2009/03/02 撮影 )
|
||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||
凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(1996/東洋書林)⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布報告書1」等を復刻したもの。 ■郷土史・歴史関係 「印旛村史」(1984/印旛村) そのほか具体的な記述はないが、その時代背景等を理解するうえで、「千葉県の歴史散歩」(2006/山川出版社)、「千葉県の歴史」(2000/山川出版社)、「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)、「本埜の歴史」(2008/本埜村)、「千葉県の歴史100話」(川名 登 編著/2005/国書刊行会)、「日本史諸家系図人名辞典」(小和田 哲男 監修 2003/講談社刊)などを参考とした。 ■史料 ・岩波文庫版「利根川図志全六巻」(赤松宗旦/1938//岩波書店)⇒1994年にリクエスト復刊された。 ⇒幕末の安政年間に完成をみた下総国布川(:現在の茨城県北相馬郡利根町)の医者である赤松宗旦の編纂による地誌。民俗学者として高名な柳田国男が校訂し解題を付したもので、巻末には簡易な索引が掲載されているものの、残念ながら余り詳細とはいえず実用性を欠く。また復刻版であることなどから、全体として印刷自体が些か不鮮明な印象が拭えない傾向にあることは否めない。 ・「茨城県史料 近世地誌編」(1968/茨城県) ⇒「利根川図志」を所収し、索引が掲載されていない、図版が更に縮小されているという部分を除けば、上記の「岩波文庫」版よりも印刷も鮮明で遥かに読みやすく、底本は第4巻末に短歌6首と俳句56句が掲載された題名が楷書体の「茶表紙」本によると記されている。 以下に「利根川」図誌」より抄録するが、用字については原意を損なわない範囲で適宜現代文に改めている。 「吉高代介城跡 吉高にあり。掛鼻(かけばな)という山の上なり。東に印旛江(いんばこう)を眼下に見下ろし、風景至て美なり。西に御門坂(みかどざか)あり。南に家老内(かろううち)、和田屋鋪(わだやしき)などいう地名今なお存す。そのほか口と唱うる地名甚だ多し。和田口、南口、西口、北口、丑口、坂口、野口、向口、向路口(むかえじぐち)、城田口、殿田口、向田口、鶴巻口、馬草田口等あり。北に船戸...(以下略)」 また、同書に引用されている「常総軍記」巻20によると、「松虫の陣場」において栗林義長(あくまでも架空の人物とされる)勢の襲来を待ち構える千葉勝胤(1470-1532)勢に吉高代介なる者が記されているが、近世に編纂された軍記物という性格からその信憑性については疑問の余地が大きいものと考えられる。(何れも「利根川図誌」巻4に収録) ■その他 なし ・2009/11/23 HPアップ
・2019/06/18 画像ズレ補正 |