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2009/04/12のブログ 凸東作城 凸大山砦 凸山梨城 | |
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千葉県四街道市和良比字堀込(現:美しが丘1−21付近) |
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土塁、空堀、馬出の一部などが現存 |
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なし(公園化されて一部のみ保存) |
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2009年4月12日 17時00分から17時15分 |
( 2009/04/12 撮影 )
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林) ⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版 戦国後期の城郭と推定され「堀込城」と表記、永正17年(1520)6月と比定される「道哲(足利義明)書状写」(「喜連川文書案」)には蕨(和良比)の地名が記され、この和良比堀込城に比定されるともいう。 ■郷土史・歴史関係 「千葉県の歴史 資料編中世1考古資料」(1998/千葉県) ⇒県内の発掘・学術調査が実施された中世城郭約70か所を収録され、この和良比堀込城についても全面発掘調査の結果も含め、手持ちの資料のなかでは最も詳しく記されている。 「千葉県の歴史散歩」(2006/山川出版社) ⇒「小弓公方足利義明の命をうけた里見義道が、本佐倉城の千葉氏(後北条方)を攻める拠点とした城という説もある」と紹介すると共に、「出入口前面に馬出をもち、戦国時代後期まで使われた城郭と考えられる」としている。 「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店) ⇒和良比村は、はじめ千葉郡に属したが寛永4からは印旛郡とされた(「印旛郡誌」より)。村高は元禄郷帳では192石余りと記されているように大規模な集落ではないことから、小規模な在地土豪の居館というよりも城館としての発生は戦国期以降と想定するのが妥当かもしれない。なお、戦国期の城郭跡として「和良比本山砦」の存在が記されているが、ほかに該当する個所が無いことからこの和良比堀込城と同一のものと考えるべきなのだろうか。 「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房) 「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社) 「利根川の歴史」(2001/国書刊行会) 「戦国房総人名事典」(千野原靖方/2009/崙書房) ■史料 「道哲(足利義明)書状写」(「喜連川文書案」) 「千学集抜粋」より ■その他 − ・2010/07/31 HPアップ
・2019/06/25 画像ズレ補正 |