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千葉県四街道市の城館索引へ戻る  中台城の主郭櫓台 中台城のバナー 中台城主郭の東側土塁
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/12のブログ 大山砦 山梨城 東作城
所在地
 千葉県四街道市中台字東作
歴史、人物、伝承

資料不足..
 下記の関係資料によれば戦国時代後期の遺構と推定され、別名を「東作遺跡」ともいう程度の事しか記載されておりません。なお東作の字名は鹿渡東作とは別の地名であり、中台城の名称も所在している地名に因むものと推定されますが、その歴史的経緯については何分にも資料不足のため分かりません。

確認可能な遺構
 桝形小口、土塁、空堀、櫓台、主郭ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年4月12日 13時40分から14時50分
訪城の記録 記念撮影

 能力の限界を露呈
 東西約40m、南北約25mほどの方形土塁に囲まれた単郭を中心として、喰違い小口、枡形小口、二重堀、櫓台など多くの遺構が現存。そうした事情もあったようで、珍しいことに更新作業の一年以上も以前に訪れた城郭であるにもかかわらず、その折に撮影した25枚ばかりの画像の殆どを記憶しておりました。
 しかし残念なことに南西方向の市道拡張工事が予定され、近々その一部は消失する運命にあったとの情報。このため消失直前の旧状を目のあたりにすることができた幸せを噛みしめつつも、数多の遺構の存在を目の当たりにして次第次第に縄張り図もどき作成作業に混乱の度合いが深まってゆく管理人でありました。その後諸事情により、再訪を果たしてはおりませんが消失部分の確認を含めて四街道方面では有力な再訪候補のひとつでもあります。

( 2010/07/22 記述 )
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主郭西側の土塁と櫓台状地形
( 2009/04/12 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については現地での大雑把なメモ書きを基に作成いたしましたので、取分け東側り空堀と南西の土塁の形状などは極めて曖昧なものとなっています。

中台城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
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凸1 主郭北東側土塁
 孟宗竹が叢生していることもあり、比較的両側の法面の崩壊が少なく良好な印象の土塁です。右側(外部)の切岸は約3m、内部の方がやや深いように見受けられましたが、後世の耕作などの地形改変によるものかも知れません。
凸2 主郭土塁北東角付近
 左の画像の撮影地点から20mほど北西方向に進んだ地点から撮影したもので、土塁が左手に曲折している様子が確認できます。主郭の土塁のなかではこの北東側が比較的原型を保っているという印象です。

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凸3 主郭北西側土塁と空堀
 ほぼ右の画像と同じ位置がら撮影したものですが、北東方向の土塁と空堀の様子を撮影。この辺りの外側の土塁は現状では主郭側のものと比べ低土塁となっています。
凸4 主郭北西側土塁
 主郭の北西側土塁の上から小口および櫓台方面を撮影しているのですが、孟宗竹が密生して殆ど分からない画像となってしまいました。

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凸5 主郭西側の土橋と小口付近
 少し変わりにくい画像となってしまいましたが、画像中央が片土橋状の地形、画像左側の窪みが空堀、画像奥が喰違い小口部分のように思われました。
凸6 左同じ
 土橋状地形の真上から喰違い小口と櫓台(画像の左上方)を撮影してみたものです。

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凸7 主郭西角付近の櫓台状地形
 主郭西角に所在しているもので、恰も喰違いの小口を睥睨するように屹立しています。出桝状に空堀に張出し、その位置と形状から櫓台としての可能性が大きいものと推定されます。
凸8 主郭北西側の空堀
 主郭北西側の空堀と二重土塁の部分で、目測によれば左側では深さ約1.8m、右の主郭側で約3mほどの深さを測ります。

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凸9 主郭西側の土橋と小口付近
 主郭の西角付近に所在する片土橋と喰違い小口と思われるような地形ですが、北東方向から撮影しているために逆光気味の画像となっておりました。
凸10 南西側の土塁状地形
 拡大した画像では、伐採の目印となるビニールテープが樹木の幹に巻きつけられておりました。その後の様子が気がかりなのですが、未だ再訪には至っておりません。

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凸11 主郭南西の小口付近
 竹林内は昼間でも鬱蒼として薄暗いため、ASA/800で被写界深度を目一杯深め、更に大きく息を吸って息を止め撮影しております(笑)
凸12 主郭東側に残る空堀
 主郭東側に残存する巨大な空堀。竹林が叢生して堀底の詳細な様子が如何とも分かりませんが幅3間ほどの空堀が主郭の東側に構えられ、恰も別郭の存在を暗示するように遺されておりました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
手元の関係資料としてはこれが最も詳しいのですが、縄張り図もなく市町村別の所在地、残存遺構などの一覧表として掲載されているだけです。

■郷土史・歴史関係
「千葉県の歴史散歩」(2006/山川出版社)
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料
なし

■その他
なし

・2010/07/22 HPアップ
・2019/06/25 画像ズレ補正
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