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千葉県白井市の城館索引へ戻る  長殿城遠景 長殿城のバナー 長殿城崖線部
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2010/02/06のブログ 小野田城
所在地
 千葉県白井市復字城際
歴史、人物、伝承

伝承か、史実か
 神崎川の支流二重川西岸の比高差10m前後の台地上崖線部に占地しているものと推定されるが、既にその遺構は明確ではなく且つその歴史的経緯も委細不詳である。多分に伝承的要素が強い城館跡のひとつとも考えられる。
 近世初期に成立したと推定されている「高城古下野守胤忠知行高附帳」には、「とみかさき村」とともに「長とろ村」の表記があるという。あくまでも同時代資料ではないが、仮に城館が存在していたとすれば、小金高城氏との関連も推定されよう。

確認可能な遺構
 腰郭?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2010年2月6日 16時35分から16時55分
訪城の記録 記念撮影

 季節風 ( 2010/09/01 記述 )
 強めの季節風はあるものの、西側に雲は無く日没までは未だ1時間ほど。残存遺構は如何にも無さそうなことは承知の上で、図書館より徒歩で城跡付近へと向かうことにしてみました。とはいうものの既に日没間近の夕刻となり更に気温が低下の一途を辿りました。
 城跡が存在すると推定される東側に面した台地は早くも黄昏時を迎え始めておりました。一度麓まで下りてから再び目指すべき台地へと登るルートを見つけ出して、竹林の混ざる崖線部を見学してみました。腰郭状の地形が残るとの情報もありましたが、それほど明確な地形は見出せずじまいとなりました。
 帰路は健気な花をつける寒咲の芝桜についつい目が行き悴む手でレンズ交換を。この後は再び目ぼしい郷土関係資料の有無を確認するため白井市の図書館へと向いました。以前仕事で訪れたときとは異なり、明らかに郷土資料関係が寂しくなった感が濃厚でした。というよりも資料費の削減と利用者マナーの低下という負の相乗効果により、全体的に書架の魅力が下降したのかも知れません。かつては町立図書館として全国的に著名だった時期もありました。この現状に照らせば、下総関係ならば佐倉市、流山市、鎌ヶ谷市の図書館の方が充実しているようにも思われました。
 帰路は16号経由か外環を利用するか最後まで決断できず。国道464は相変わらず夕方の渋滞が予想されたので、結局県道経由で16号へと出て帰宅を開始しました。しかし渋滞で名高い呼塚交差点(よばづかこうさてん)で約1kmほどの渋滞となりました。その最大の原因は交差点先での乗用車4台からなる玉突き衝突事故でした。道路は大方乾いているため路面凍結によるものとも思えません。沿線に設置されていた寒暖計の表示はすでに摂氏1度を表示。また東北道では那須〜郡山間が降雪のため通行止めの表示もなされたようにひたすら寒い一日なのでありました。

長殿城遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
長殿城遠景 −画像A−
( 2010/02/06 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については現地での印象を基に作成しましたが、夕刻からの猛烈な寒さのため相当曖昧な崖線地形となっております。

長殿城概念図(ほぼ崖線の概念図) ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
長殿城付近の崖線部 ⇒ 画像クリックで拡大します
腰郭状の地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 長殿城付近の崖線部
 特に城跡に関連しているという地形ではありませんが、ただの崖線と性格づけるには余りに勿体無いそれは見事な崖線部なのでありました。この長殿に城跡が存在したとすればこの崖線部付近が北限のように思われました。
凸2 腰郭状の地形
 孟宗竹の林の斜面のなかに一段低くなった削平地を確認しましたが、比高差5mばかりの麓の宅地から崖線部へと這い上がる近道のような使われ方をしておりましたので、後世の地形改変である可能性も否定できません。

崖線の突出部 ⇒ 画像クリックで拡大します
墓石、石仏群
凸3 崖線の突出部
 画像「2」よりさらに南側へと移動した個所にも、人工的に突出した地形と想定される削平地形を見ることができますが、同様に後世のものである可能性もありそうです。
凸4 墓石、石仏群
 小祠へと続く路傍には近世中期以降の墓石乃至は石仏が整理されて保存されておりました。一体ずつ詳細に拝見しようとも思いましたが季節風の北風が激しく断念をいたしました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
→「150m四方の範囲を想定し、一部は墓地で、一郭程度が確認できる」とあり、「土塁」が残る旨が表記されているが、現在その土塁の存在を確認することはできない。なお城館名のカナヨミについては「ナガトノ」とされている。

「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
→「現況を山林・畑」と表記し、遺構については腰郭が一部残存する旨が記され、確かに崖線部の一部に腰郭状の地形を見ることができるが、当該城郭遺構に関連する地形であるのかどうかについては明確さを欠いている。なお城館名のカナヨミは「ナガトロ」とある。

■郷土史・歴史関係
「白井の中世を探る」(平成12年度企画展解説資料/白井市郷土資料館)
「白井のあゆみ」(2005/白井市郷土資料館)
「しろいの散歩みち」(白井町役場)
→「熊野神社から50mほど上長殿方面に歩むと左手にイチョウのの大木があり、その前方左手の樹林の中に昔の城(長殿城)の形跡が僅かに残っている。近くに城際の小字名もある」との記述がみられる。

「白井の地名」(2005/白井市郷土資料館)
→「城際」の字名の由来について、実際に城跡を示すような遺構がないため、田地「シロ(代)」の傍ら「キワ(際)」を意味した地名と推定している。また、近世初期に成立したと推定されている「高城古下野守胤忠知行高附帳」には「長とろ村」の表記があるという。

「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料


■その他


・2010/09/01 HPアップ
・2019/06/23 画像ズレ補正
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