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京都府京都市の城館索引へ戻る 茶屋四朗次郎屋敷跡 茶屋四朗次郎屋敷跡のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011年4月12日のブログ 本能寺址 南蛮寺跡
所在地
 京都府京都市中京区西洞院通東
歴史、人物、伝承

家康側近の御用商人
 茶屋家は近世初期の豪商。元来は山城国の在地領主で中島氏を称し、信濃国守護小笠原家の家臣であったと伝わる。宗延、明延の代に商いを営み角倉、後藤家と並び京都三大長者の一人と称された。その子四朗次郎清延は徳川家康の側近として参陣し、軍需物資の調達、情報収集などの分野において貢献した。
 清延の子、又四郎(本家)、新四郎(尾張分家へ)、小四朗(紀州分家へ)は大坂の陣にも参戦し、将軍家御用商人、親藩御用商人、御朱印船貿易、新田開発など特権的地位を占めて活躍したが、江戸中期以降は鎖国や新興呉服商人の登場を背景として次第に振わなくなっていったという。これらの史料については「茶屋文書」として現代に伝わる。(おもに「日本史広辞典」より引用した)

確認可能な遺構
 現地解説板のみ
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年4月12日 13時15分から13時20分
訪城の記録 記念撮影

 読めない解説板
 御朱印船貿易などを通じて徳川家康の幕藩体制確立に貢献したとされる著名な京都商人の邸跡です。目的地として訪れた訳ではなく、偶々本能寺址の探訪後に付近に所在している筈の南蛮寺を探していたところ、たまたま然民家の塀沿いに説明板が設置されていたものです。

 ただし、訪れた時点では残念ながら肝心の解説板が長年の日焼けなどにより劣化が目立ち、すでに下半分くらいからはかなり読みづらくなっておりました。 

                   
( 2011/04/19 記述)
茶屋四朗次郎屋敷跡
茶屋四朗次郎屋敷跡
( 2011年4月12日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■郷土史・歴史
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)

■その他
・各市町村公式HPなど
・現地解説板

・2011年4月19日 HPアップ
・2019年6月26日 画像ズレ補正
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