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京都府京都市の城館索引へ戻る 妙顕寺城付近 妙顕寺城のバナー 妙顕寺城現地解説板
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011年4月12日のブログ 二条御新造 本能寺址
所在地
 京都府京都市押小路小川西入(西福寺門前付近)
歴史、人物、伝承

聚楽第以前の秀吉の政庁並びに荒木一族幽閉の地
 妙顕寺元亨元年(1321)日像上人により創建され、建武元年(1334)には後醍醐天皇の綸旨により勅願所となったが、しばしば比叡山からの迫害を受け焼打ちに遭い一時は妙本寺とも称し、その後天文17年(1548)にこの二条西洞院に再建され妙顕寺の号に復した。
 現地に設置されている解説板などの説明によると、柴田勝家を賤ヶ岳合戦で敗北させ事実上織田信長の後継者となった羽柴秀吉は、天正11年(1583)9月にこの妙顕寺を小川通寺ノ内に移転させその跡地に二条新邸を建設し(⇒「兼見郷記」天正11年9月11日の条)、短期間ではあるが天正14年(1586)に聚楽第を建造するまでのわずかの間、京都における政庁としたという。
 水堀に囲まれ天守を擁した構造であったともいわれるが、遺構などは現存せず城跡の付近には古城町、下古城町などの往時を偲ぶ地名が残されているのみである。
 現在の二条城の東、二条御新造の西、その当時における織田信長の宿営所である妙覚寺の西隣、本能寺址の真北という枢要の地における立地は、織田氏の正当な後継者としての自負も読み取られるものと考えられる。
 その後天正12年9月3日妙顕寺は上京区妙顕寺前町に東西72間半、南北132間の替地を与えられ(⇒「妙顕寺文書」)、地子並びに諸役が免除され寛永年間には末寺193ヶ寺を数えた。(⇒「妙顕寺末寺帳」(大日本近世史料))
 また、同時代史料である「信長公記」や「フロイス日本史」の記述を参照すると、荒木摂津守村重は天正6年(1578)10月に居城である有岡城(伊丹城)にて謀叛を起こしたが、翌年10月滝川一益の調略により内応が起こり同城は落城した。その際に妻多子(たし、だしとも)を始めとする荒木氏の一族係累三十数名(36名とも)は、捕らえられて12月12日「妙顕寺」に護送され入牢したことが記されている。このことから天正7年(1579)において、当地に構えられていたことが確認されるこの妙顕寺に正に幽閉されていたであろうことについては異論の余地がないものと考えられる。
 なお同年12月16日に数百人にもおよぶ厳重な警護の下、上京一条の辻から室町通りを通り京都市中を引き回しの上、美人の誉れ高い妻多子ほか一族全員が六条河原にて打ち首の刑に処せられたという。当該処刑を取り仕切った奉行は不和光治、前田利家、佐々成政、原政茂、金森長近の5名であった。

確認可能な遺構
 石柱、現地解説板
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年4月12日 15時10分から15時15分
訪城の記録 記念撮影

 こんな所にも城跡が
 秀吉が築いたとされる二条城東側の城跡ですが地表上の遺構は無く、西福寺境内の南側(押小路通)に石柱と解説板が設置されているだけです。 中心部とも思われる古城町の地名が残されている個所は、石柱が所在する個所よりやや北東方向の一角に相当するものと思われます。

 押小路通りからは二条城の南東櫓も見えましたが、平日とはいうものの季節はサクラのライトアップをしているような観光シーズンの真っただ中でありました。ある程度の混雑が予想され、また元来が人混みが苦手な性質なので、遠くから一瞥したのみで京都御苑が所在する東方向へとUターンし足利義昭邸跡(旧二条城)方面へと移動いたしました。

( 2011/04/23 )記述
妙顕寺城 ⇒ 画像クリックで拡大します
妙顕寺城
( 2011年4月12日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■郷土史・歴史
・「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
・「現代語訳信長公記下巻」(2006/中川太古 訳著/新人物往来社)
・「新訂信長公記」(1997/桑田忠親 校注/新人物往来社)
・「角川日本地名大辞典26京都府上巻」(1982/角川書店)妙顕寺の項
・「完訳フロイス日本史3織田信長編V」(2000/松田毅一・川崎桃太訳/中公文庫)
■その他
・各市町村公式HP(「京都観光ナビ」)
・⇒現地解説板

・2011年4月23日 HPアップ
・2015年4月14日 荒木村重一族、参考資料の記述を追加
・2019年6月27日 画像ズレ補正
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