茨城県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 茨城県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動

素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

茨城県竜ケ崎市の城館索引へ戻る 伝・龍ヶ崎氏館 伝・龍ヶ崎氏館のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/12/16のブログ 龍ヶ崎城
所在地
 茨城県龍ヶ崎市愛戸町平畑
歴史、人物、伝承

多分に伝承地か
  「竜ヶ崎第二高等学校」の碑文および「新編常陸国誌」等によりますと、鎌倉時代には白幡台に居を構えたとされる龍ヶ崎氏(下川辺氏の一族)の居館のひとつとも伝わりますが、あくまでも多分に伝承としての要素が強く史実として捉えるには無理があるようです。

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年12月16日 10時40分から11時10分
 2009年1月10日再訪
訪城の記録 記念撮影

 龍ヶ崎城の北西500m付近に位置する丘陵で元々気に留めていた地形です。龍ヶ崎城の丘陵と向かい合う形で、標高はほぼ同程度のはずかと思われます。地形上の大きな違いは崖線形状がより複雑で、丘陵自体の長さも約1.6キロメートルと遥かに長大であることでしょうか。
 このため丘陵上に堀切を設置するとしても、尾根筋が狭隘な地形が多く普請自体が極めて容易であったものと思われます。また当時は周囲が湿原に囲まれていた点はほぼ同様です。防御の容易さという点に限定すれば、この地から龍ヶ崎城へと本拠地を移転する必然性が不明なほどの地形でありました。
 無論、遺構は宅地開発、大学キャンパス、工場建設などに伴い皆無と推察されます。なお、予想通り校門脇の個所からは龍ヶ崎市内が一望に俯瞰でき、勿論、龍ヶ崎城もその全景をデジカメの視野に収めることができました。

( 2011/10/5  記述 )

伝・龍ヶ崎氏館(白幡台)
伝・龍ヶ崎氏館(白幡台)
( 2008/12/16 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店、
「龍ヶ崎市史 中世編」(1998/龍ヶ崎市)
「龍ヶ崎市史 中世資料編」(1993/龍ヶ崎市)
「龍ヶ崎市史中世資料編別編2 龍ヶ崎市の中世城郭」(1987/龍ヶ崎市)

・2011/10/05 HPアップ
・2019/06/15 画像ズレ補正
トップ頁へ 茨城県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動