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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2016/11/16のブログ 幸新館 妙見館 柴木戸
所在地
 福島県郡山市片平町字舘山
歴史、人物、伝承

字名から
 呼称されている字名である「舘山」を除いて、中世城館との関わりの可能性のある資料は見当たらず、この場所が中世城館跡と関係するのかどうかさえも不明である。
地形的には南北を浅い谷津に挟まれた東西にのびた細長い低丘陵に所在しているものの水田面との比高差はあまりない。
近代以降開墾すすみ下記航空写真からも判明するように、戦後間もない時点の画像でさえも耕作地と僅かな山林が確認できるのみでそうした痕跡はこの画像からは確認することは困難である。
なお周辺にはすぐ北側に「幸新館」、その北側に「山神館」、東方には「妙見館」などが所在している。

確認可能な遺構
 なし(自然地形の丘陵)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2016年11月16日 
訪城の記録 記念撮影


 字名のみ
 ここを訪れた前々日と前日に何度もカーナビに「舘山」の地名が表示されることからものすごく気になりました。いちおう念のため当該地付近を撮影したもので、このあとでいろいろと調べてみましたがその「舘山」という字名を別にしますと城館との関わりのありそうな事柄を確認することはできませんでした。
また国土地理院のウェブ地図を見てみますと、あまり比高差はないものの本来は河岸段丘先端部の台地であったことは窺えるのですが、現状はその大半が建設資材置場のような利用状況となっておりました。
1948年3月当時の在日米軍の撮影した国土地理院航空写真によりますと、台地北側部分に山林の一部が遺されていることが分かります。
この部分を除きますと、すでにこの当時以前から耕地化がすすんでいたことが分かります。
最も標高が高い林部分が多少気にはなりましたが、その利用現況からアプローチすることは諦めました。

( 2017/09/24  記述)

国土地理院航空写真より編集加工 ⇒ 画像クリックで拡大します
国土地理院航空写真より編集加工
( 2017/9/23 作成 )
訪城アルバム
字舘山の遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
字舘山 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 字舘山の遠景
 東側の妙見館が所在する丘陵先端部から遠望したもので、樹木の生育している個所が「字舘山」の北側付近に相当します。
凸2 字舘山
 山林部分の地表が約3mほど高くなっており多少気になりますが、すでに開墾時代から相当程度の区画形質変更が加えられているというような印象がありました。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島(「福島県の中世城館跡」を収録)」(2002/東洋書林)掲載なし
・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)掲載なし
・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし

歴史・郷土史関係等
・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)掲載なし
・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社)掲載なし
・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店) ⇒ 字名のみ掲載
・「郡山の地名(口承文芸刊行物)(2005/郡山市教育委員会)」 ⇒ 字名のみ掲載

史料、地誌
・「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)掲載なし

その他(データベース、関係著書)
・福島県文化財データベース「まほろん」掲載なし
・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」掲載なし
・「国土地理院航空写真」(国土地理院ホームページから)航空写真画像を編集加工した


・2017/09/24 HPアップ
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