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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/06/16のブログ 河東田城 
所在地
 福島県白河市表郷堀之内字堀ノ内
歴史、人物、伝承

委細不詳
 阿武隈川の支流社川の北岸に独立丘陵に所在し、東方約1kmに所在する河東田城とは目と鼻の先という立地条件。こうしたことから仮に河東田城と同時代の遺構であるとすれば、白河結城氏一族あるいはその家臣筋に関係する城館跡とも考えられますが、具体的資料も存在していないことからあくまで推測の域を出ないものです。
 堀之内村は近世を通じ石高は650石余りとの記録が残り、旧家の穂積家が代々その庄屋を務めて、明治20年当時の戸数40戸、人口215人という小規模な集落を形成していたとのこと(「角川地名大辞典」より)。仮に当時の我が国の総人口と比例しているものとすると戸数10戸、人口50人余りの小集落ということになり城館跡の存在に疑問を投げかける要因ともなりそうですが勿論その実情は不明です。
 なお、白河市旧表郷村地域の中世城館跡は2、3の例外を除けば、すべて社川沿いの独立低丘陵に所在し、現在の集落単位に所在しています。時代背景や館主などの詳細については不明な場合が多いものの、全体としては白河結城氏の本城への往還に沿って社川の北岸には、僅か約4kmの間に東から河東田城、堀之内館、ぼた山館、阿瀬美館、八峰館遺構が展開しています。

確認可能な遺構
 詳細確認未了
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年6月16日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/07/14 )
 旧表郷村地域の中世城館
 実際のところは、東側の川東田城と間違えて立ち寄った場所なのでありました。概ね同じように南側に張り出した独立丘陵を形成。しかも一応は堀之内という小字名を有する南側に水田地帯を抱える集落で、南北双方に如何にもそれらしい地形の独立丘陵なども所在するという好条件。尤も集落を東西に抜ける往還を扼するには南北に拠点があったほうが合理的と感じるのは現代人の感覚なのかとも。

 川東田城と同様に、白河結城氏の一族が居館としていても不思議はなさそうな立地条件...などと強がりを(笑)但し北側の丘陵中腹は地元の方の墓所で、南側の小さな比高差20mほどの小丘陵には神社が所在するのみでありました。帰りに道路わきに設置された地名表示の支柱には、確かに「表郷堀之内」と表記がなされておりました。

 なおその後に収集した資料によれば、詳細は不明であるもののやはり中世城館の可能性を含んだ土地柄であることが判明。とすれば管理人の誤認についても、ある意味では妥当な見方なのであったかも知れないのでありました。かくして南奥初の「城館まがい」とならずに、こうしてHPに掲載をする運びとなりました(汗)

「堀之内館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
表郷の堀之内館
( 2008/06/16 南側より撮影 )
訪城アルバム
交通案内

・県道277号線沿いの北側に所在する比高差約35mの丘陵で、県道の反対側には「表郷村 堀之内」の標識が設置

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)

郷土史関係等
「図説福島の歴史」(1989/河出書房新社)
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)、
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)

史料
「復刻版 奥州永慶軍記」(2005/校注 今村義孝/秋田無明社)
 ⇒ 戸部正直が元禄11年に稿了したとされる近世の軍記で、奥羽両国の旧記と古老の見聞直談を採集したとされる。復刻の元になった刊本は1966年に人物往来社から刊行されたもので、自筆本は存在しないことから写本および史籍集覧等を底本としている。

福島県文化財データベース

・2008/07/14 HP暫定アップ
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