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2015/07/29のブログ 凸水神館 | |
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福島県郡山市富田町字向館 |
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遺構なし、ただし北側の天神南遺跡に富田氏の墓地が所在する |
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なし |
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2015年7月29日 |
( 2015/07/29 撮影 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) 記載あり 「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) 記載なし 「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ⇒ 「天正年間、田村氏に属した富田左近の一族伊東主膳が居館した所と伝える」との記述がある。 ■郷土史関係等 「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) ⇒ 「相生集」からの引用として、「富田館は何人の頃にや伊東主膳之れに居る」と記している。この富田館については、富田北側の平館としているが、現在の向館は富田の南端に所在しているという点で齟齬がある。 「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社) ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している40か所の城館跡について略述している。この向館に関しては、明治期の地籍図からその一辺が約80m四方の主郭とその西側と北側の郭の存在を示唆した城館遺構の復元案を提示されている。 「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店) 「富田ふるさと町史」(2004/郡山市・富田町合併50周年記念事業実行委員会) 「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) 応永11年(1404)の安積伊東氏一揆連判状では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「富田 藤原祐昌」(6代種祐の折その早逝により、伊東家本家から養子に入ったとも)の名が見られるが、本来は伊東氏一族の富田氏であるにもかかわらず、石川一揆の方に連署している点について、上記の「富田ふるさと町史」では血縁関係から地縁関係に移行する土地支配の変化と見ている。 ■史料 「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より) ⇒ 「富田村向館 里老伝に城主伊藤主膳正(いとう しゅぜんのしょう)云々」とあり、近世に編纂された地誌に僅かにその伝承が記されている。 ■その他 福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 掲載あり 郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」 ⇒ 掲載あり(上記ともに、あくまでも埋蔵文化財の包蔵地を提示しているもので、城館としての領域を示しているものではない) 「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。 ・2016/08/13 HPアップ
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