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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/06/17のブログ 守山城
所在地
 福島県郡山市田村町守山
歴史、人物、伝承

水戸家分家の松平藩陣屋
 水戸家初代頼房の子、光圀の異母弟松平頼元を藩祖(常陸額田藩)としますが、元禄13年(1700)その子頼定の時に額田を返上し、新たに田村郡守山をはじめ常陸行方郡、鹿島郡、茂城郡にに封を受けました。当初は鹿島郡松川村に陣屋がおかれましたが、その後宝暦6年(1756)に守山の地に陣屋が移され守山藩となりました。藩主と家臣の大半は江戸在府のため、あくまでも郡奉行による代官支配のための陣屋として築かれたものと思われます。付近には小姓町、殿町などの陣屋関連地名が残されています。
 陣屋は南北朝期から近世初期にかけての城郭である守山城の西側に隣接する市街地に所在する平城形式の2千坪ほどの小規模なも。このため戊辰戦争時には奥羽列藩同盟に加わったものの、戦うことなく政府軍に降伏し守山陣屋はそのまま会津攻略のための新政府軍の後方支援拠点となったといわれています。
 水戸家分家とはいえ明治2年当時の人口1万7600人、家族を含めた藩士1180人という小藩。もし仮に旧幕府側に加担して戦いに加わったとしても、推定される動員兵力は多くとも200人足らずで勝敗の帰趨は火を見るよりも明らかであったのかもしれません。

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年6月17日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/08/02 )
 近世守山藩陣屋跡
 宝暦年間に水戸家の支藩として松平家2万石の陣屋がおかれたもので、当時の遺構は殆ど残存していないとのこと。確かに現状では完全に宅地化が進んでおり、当時の遺構につながるような地形を確認することは難しいようです。
 なお陣屋跡に直接関連があるかどうかは不詳ですが、陣屋跡と推定される区域の付近では大きく曲折した市街地の道路が残っておりました。こうした景観は城下町などによく見られる道路形状ではありますが、そのまま陣屋関連地形であると断定するには余りにも勉強不足・資料不足なのであります。
 なお、陣屋跡とは余り関係はありませんが、陣屋跡近くに所在する地元集会施設の「守山会館」の玄関には、水戸家分家の御家門(御連枝)松平氏にかかわる葵の御紋が掲げられておりました。


「守山陣屋跡付近」 ⇒ 画像クリックで拡大します
陣屋跡付近
( 2008/06/17 撮影 )
※右側のナマコ壁の土蔵は隣接する商店のもので陣屋跡とは無関係です
交通案内

・JR水郡線「いわきもりやま」駅より東へ徒歩5分。

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「国別 城郭陣屋事典」(2002/西ヶ谷 恭弘 編/東京堂出版)
「江戸三百藩 城と陣屋総覧 東国編」(2006/学研)
「大名の日本地図」(2003/中島茂雄 著/文藝春秋社)

郷土史関係等
「図説福島の歴史」(1989/河出書房新社)
「福島県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)

郡山市役所公式HP(旧田村町地区観光案内より)



・2008/08/02 HPアップ
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