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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/10/21のブログ 鹿島館 
所在地
 福島県郡山市西田町字内出
歴史、人物、伝承

見渡神社境内
 城館跡近くの単なる見晴らしの良い丘陵のひとつであるに過ぎないものであり、その名も見渡神社という神社の境内地であるが、残念ながら無論城館跡に関係するような伝承なども残されてはいないようである。

確認可能な遺構
 不明
文化財指定
 なし(ただし供養塔については市指定の文化財か)
訪城年月日
 2015年10月21日 
訪城の記録 記念撮影


 もののついでに
 中世の供養塔が所在するとの情報がありましたので、鹿島館と考えられる高野神社とは集落の谷を挟んで東側対岸の丘陵先端部に所在していることとあわせて念のため立ち寄ってみました。
 事前の予想通り前記の高野神社よりも遥かに集落全体の見晴らしがよく、神社境内そのものも規模は大きいのですが、一方で全体として丘陵としての傾斜が緩やかであることから、軍勢が一時的に布陣するには相応しいかも知れませんが、より防御性を要求される要害としての地形的な優位性を感じられず城館跡としての印象は薄いものを感じました。
 それでも、鹿島館から北東へ続く丘陵状に所在していることから多少気にかかる立地条件となっており、下記の画像は南側から見渡神社の丘陵を撮影したものですが、神社造立に伴う普請と考えられる削平地のラインが明瞭に見てとれます。
 こうして郡山市3日目は11城館+2神社・仏閣を無事に回り終えることができました。また、足回り対策の効果は期待通りとなり、夕刻時の痛みも従来に比べれば大幅に軽減することもできました。今回の遠征から使用したトレッキングシューズの方もまずまずだったので、これで当分は動けそうな見通しがついたようです。
 帰路は一度郡山市の中央図書館に立ち寄り、2時間ほど午後6時過ぎ頃まで自治体史関係資料の渉猟に費やしました。夕食はかねてから気にかけていた「ソースかつ丼」にしてみました。むろん本場ものではないのですが、ガテン系の大きめの丼ぶりに味噌汁を足して税込760円は、昼飯抜きの体にエネルギー充填を確信させる存在感を十分に感じさせてくれました。

( 2016/11/12 記述)

見渡神社 ⇒ 画像クリックで拡大します
見渡神社
( 2015/10/21 撮影 )
訪城アルバム
参道 ⇒ 画像クリックで拡大します
参道中腹 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 参道
 画像左側の切岸状地形はなかなか良い感触なのですが、何分にもこの南側からの参道は緩やかになっていました。
凸2 参道中腹
 「画像3」の撮影個所はこの画像の石灯籠の間から撮影したみのです。こうして見上げると、あたかも腰郭のように見えてしまう業の深さが身に沁みます (^_^;)

南方の見通し ⇒ 画像クリックで拡大します
境内 ⇒ 画像クリックで拡大します"
凸3 南北方向の見通し
 南北方向にのびる谷筋の最奥部を塞ぐように所在していることから、南側の眺望は極めて良好で、三春と日和田を結ぶ県道115号線を望むことができ、鹿島館からの眺望とは比較にならないほど優れていました。
凸4 境内
 社殿裏の切土は文字通りの普請であり、神社の造立に伴う地形なのでしょう。

広い境内 ⇒ 画像クリックで拡大します
車道 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 広い境内
 この地域の村社であったこともあり、境内地の広さが目立ちます。それにしても、社殿背後の切土の高さが魅力的に感じますが、奥の方に格別これといった気にかかるような地形は見当たりませんでした。。
凸6 車道
 丘陵西側から続いている自動車用の参道ですが、画像の右端にはフレコンバッグがひっそりと置かれておりました。眼前に見たのはこれが初めてでしたが、それでも空間線量は0.5μsievert/h未満と低めでした。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
なし
歴史・郷土史関係等
なし

史料、地誌
なし
その他(データベース、関係著書)
・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」
 「見渡神社供養塔」として中世の石造物が所在している旨が記されているが、一瞥した限りではそうした中世の石造物は見かけなかった。また、2016年11月12日現在において、郡山市の文化財に関するHPにも該当するような指定文化財は見当たらなかった。

・2016/11/12 HPアップ
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