1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録 | |
2015/07/29のブログ 凸日和田館 | |
|
福島県郡山市日和田町日和田 |
|
|
|
堀、郭など |
|
なし |
|
2015年7月29日 午前11時40分頃から正午頃まで |
(郭跡北辺部には土塁跡のようにも見えなくもない盛り上がりもありました) ( 2015/10/20 撮影 ) |
||||||
|
||||||
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
||||||
凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) ⇒ 「古館」の名称で掲載あり 「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) 掲載なし 「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 掲載なし ■郷土史関係等 「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) ⇒ 日和田館は掲載されているがこの古館については掲載されていない 「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社) ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している40か所の城館跡について略述し、この日和田古館についても略述され、堀跡についてはかつては空堀であったこと記している。 「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店) 日和田をめぐる中世古文書に関する記述がある。 「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) 応永11年(1404)の安積伊東氏一揆連判状では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「社谷田沙弥勝慶(部谷田沙弥勝慶)」の名が見られる。 「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市) 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた中世の政治動向などが割愛されている部分もある。 ■史料 「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より) 「奥陽仙道表鑑」の記述と同様の、日和田館に関する天正10年の記述はあるが、古館に関するものは見られない。 「文禄3年(1594)蒲生領高目録」(「郡山市史8資料編」より) ■その他 福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 「日和田古館」の名称で掲載あり(ただし示されている遺跡の範囲は南古館を中心とした地域であり、この日和田古館を含んではいない) 郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」 ⇒ 「日和田古館」の名称で掲載あり(南古館、日和田古館を含む広範な領域を示している) 「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究し、この日和田古館についても約50メートル四方の方形館であること、部分的な発掘調査により建物柱穴、14世紀から15世紀前半の遺物が出土した旨の記述が見られる。(「日和田古館跡」1996ほか) このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。 ・2016/08/29 HPアップ
|