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2015/10/20のブログ | |
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福島県郡山市日和田町日和田字舘 |
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空堀の一部、郭、土塁の一部 このほか館跡の西方約150mの館集会所西隣市道沿いに安積左衛門供養塔があり、供養塔の解説板が設置されているが詳細な館跡の記述はみえない。 |
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なし |
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・2015年 7月30日 12時30分から12時45分頃まで ・2015年10月20日 12時50分から13時15分頃まで |
( 2015/07/20 撮影 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) ⇒ 「城館一覧」に城館名と安積左衛門の居館である旨などが掲載されてはいるが、記述として見るべきものは少ない。 「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) ⇒ 「城館一覧」に掲載されてはいるが、記述として見るべきものはさらに少ない。 「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ⇒ 記述なし。 ■郷土史関係等 「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) ⇒ 戦後間もない時期の労作であるが、この日和田館に関する記述は群を抜いて詳細であるので、以下にその要点を転載した。 日和田の地名表記については、「観応期の申状には「部屋田」あるいは「戸谷田」とも記され、その後の応永の連判状では「部谷田」、和名抄郡郷考には「檜和田」を記した」という。館地は「日和田東側の丘陵の末端を利用したもので、比高20mの台地で東西約120m、南北約80mの一郭とその西方に東西約80m、南北約70mの一郭址」が見られた。また「当時は土塁があったであろう土塁の断片と堀跡の痕跡も見られる」とし、「往時は沼に囲まれた台地の先端で、東南北の三面は沼地に臨み西方台地の尾根上には掘割があり要害の地であったと思われる」としている。 仮にこの記述が著者が調査された戦後間もない時期における城館跡の様子を正しく伝えているものであるとすれば、現在残されているような単郭構造ではなく、少なくとも複数の郭から構成される城館であったということになろう。 「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社) ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している40か所の城館跡について略述した、郡山地区の中世城館に詳しい地元研究者の著作である。 「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店) 「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) 応永11年(1404)の安積伊東氏一揆連判状では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「社谷田沙弥勝慶(部谷田沙弥勝慶)」の名が見られるが、その居所が日和田館以前の日和田古館を指すものであるかどうかについては断定はできない。また、「積達古館弁」などからの引用した中世の館のひとつとして「日和田(所在地) 日和田館(城館名) 伊藤左衛門佐(城館主)」という記載があるが、その詳細な記述については割愛されている。 「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市) 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた市内の城館跡一覧や中世の政治動向などが割愛されている部分もある。 「郡山市史第1巻通史編」(1975/郡山市) 奥陽仙道表鑑から引用した戦国期安積郡の城主の一人として、「日和田城主 伊藤左衛門」の名が記されている。 ■史料 「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より) 「日和田村日和田舘 里老伝に伊藤左衛門佐の城と云々」との記述があるが、この内容は「奥陽仙道表鑑」の「高倉軍之事」からの引用であると思われる。 「奥陽仙道表鑑」(「三春町史第7巻資料編」より) ⇒ 天正10年3月、畠山義国が当時田村方となっていた高倉城を再び配下におさめた際に、田村清顕との高倉城を巡る攻防が行われた。この合戦は結局畠山氏方の勝利となり、田村方であった日和田の城主伊藤左衛門佐は降参して畠山方となったという。(この記述について、管見では同時代史料には見られないことから、この正徳年間にまとめられた軍記物の記述を掲載してみました) 「文禄3年(1594)蒲生領高目録」(「郡山市史8資料編」より) ■その他 福島県文化財データベース「まほろん」 「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。 ・2016/08/04 HPアップ
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