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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/10/19のブログ 築館
所在地
 福島県郡山三穂田町富岡字白山
歴史、人物、伝承

伝・須田佐渡守居館とも
 「日本城郭大系」では須田佐渡守の居館として伝わっている旨が記載されているが、その出典についてはいさか不明であるようにも思われる。
 この富岡地域が戦国時代末期頃には須賀川を中心として勢力のあった二階堂氏の影響下に置かれていたことから、その重臣である須田氏の一族が領地支配を任されていた蓋然性は低くはないが、他方で天正期には蘆名氏などの侵攻も行われており、いわゆる一次資料としての直接的な文献資料の裏付けを伴ってはいない模様なので、白山館の件に限って言えばあまり明確であるとは言い難い側面もあるのかも知れない。

確認可能な遺構
 なし(現況は水田のみ)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2015年10月19日 11時45分から11時55分
訪城の記録 記念撮影


 低地の水田
 福島県文化財テータベーース「まほろん」の情報によりますと、土塁や空堀などの遺構が現存する築館が所在する丘陵南側水田一帯をその所在地として表記していますが、南側を水路が流れていることを除けば、軍事的防御性にも水害などの自然災害にも脆弱な立地条件であることから、およそ城館跡としては相応しくない立地条件であるようにも思われました。
 ことによると耕作地と水利権の占有などを優先した結果であったのかも知れませんが、この一帯は下記の画像のように丘陵下の水田となっており、少なくとも地表上の遺構の残滓さえも認めることはできませんし、むしろ南側の用水路対岸に所在している丘陵の方が、地理的条件が整っていることからそちらに目が向いてしまうほどの景観でありました。
 また、福島県文化財テータベーース「まほろん」の記述には、一部に錯誤が生じているような事例も散見されることもあり、「中世城館調査報告書」と同じく、その記述について全」面的に信頼するのは問題もあるのかも知れませんが、一応「城郭体系」を含めたこれら三点の基礎的な城館関係資料については概ね共通の記載がなされてはいます。 

( 2016/06/08 記述)
「白山館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
白山館付近の景観
( 2015/10/19 撮影 )
訪城アルバム
「白山館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「白山館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 河岸段丘下の水田
 手前の台地と水田の比高差は高いところで数メートルほどを有しており、南北の河岸段丘に挟まれた東西に細長い地形が続き、水路の蛇行により形成された幾分南北方向にひらけた水田となっていました。
凸2 対岸の集落
 画像のように手前の水田よりも、むしろ笹原川の支流でもある用水路対岸の集落の方が目よく立つ地形を形成しておりました。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) ⇒ 館名と所在地についての記述あり。
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) ⇒ 館名と所在地についての記述あり。
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ⇒ この館についての記述は見られない。

郷土史関係等
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) ⇒ この館についての記述は見られない。
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
 本書によると、富岡は戦国期から文献に登場する地名であり、天文10年5月20日付の田村義顕、隆顕連署証文に、富岡村の領主である富岡八郎の名が記されているという(伊達家文書/福島県史7巻)。また、天正13年10月24日付の蘆名亀王丸書状(富田文書雑集)には、「富岡打入□候」という、富岡に蘆名氏が攻め込んだ旨の記述があるとのことである。

史料
「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)
 近世編纂の古城跡に関する記録である同書には、「富岡 富岡館」との記述はあるものの、この白山館についての記述は一切見ることはできない。なお、その富岡館についても、その所在地は不詳である。
「文禄3年(1594)蒲生領高目録」(「郡山市史8資料編」より)
 ⇒ 富岡村については石高1442石余りという、当時としては決して少なくない所領であった旨が記されている。

その他
福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 館名と所在地、およその遺跡範囲についての記述あり。
「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。


・2016/06/08 HPアップ
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