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大蔵館 | |||||
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関連ページのリンク | 2004/11/25の日記 菅谷館 | ||||
埼玉県比企郡嵐山町大倉御所ヶ谷戸522付近 | |||||
「新編武蔵風土記稿」の大蔵村の条には次のような記述がある。「古城蹟 村の西方にあり、方1町ばかり、構の内に稲荷社あり(中略)空堀および塘(土塁)の蹟残れり、これより西方に小名堀ノ内と云あり、昔は此辺までも構の内にて、帯刀先生義賢の舘蹟なりと云(後略)」 | |||||
土塁、空掘 | |||||
周辺の地理的特徴 | 岩殿丘陵の北端に位置し、「嵐山の中世」等によれば発掘調査などから館の規模は東西170m、南北215メートルと推定している。現在の神社の部分は、その南西側の一部であり東西40m南北70m位であろうか。なお館の東側には鎌倉街道上道が南北に走り、都幾川を挟んで菅谷館は800m程先の筋向いに位置している。 | ||||
記録 |
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) | ||||
埼玉県指定史跡 1934年指定 | |||||
2004/11/25 |
<<2004/11/25>> | |
大蔵神社の場所は本来の遺構全体から見ると南西の角の位置にあるらしい。写真は県道172号線から見て向かって左側の土塁部分。写真でも分かるように、遺構自体としては手前の部分が一番高く、東側の先に行くにしたがって低くかつ幅も狭くなっている。 <<2004/11/25 撮影 晴れ>> | |
東武東上線武蔵嵐山駅より南へ徒歩25分。旧254号線から東原団地を通り、国道254号線方面を南東方向に向かい、ワークマンのある国道254号線の信号を渡り都幾川に架かる学校橋を南下。500mほど進むと信号があるので、これを右折すれば200m先の右側。 |
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