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小倉城
関連ページのリンク  2004/11/22の日記  2004/11/29の日記  腰越城
所在地
埼玉県比企郡玉川村田黒字城山1184ほか
歴史と沿革

 「新編武蔵風土記稿」によると遠山右衛門大夫光景の居城とされている。秀吉の天正18年の関東侵攻により大きな合戦も無く開城した模様。「小田原衆所領役帳」では2代前の綱景が2048貫の役高を有する江戸衆の筆頭となっている。「玉川村史」では小倉城の創始は山内・扇谷の両上杉氏の抗争の時代に始まり、後北条氏の時代に拡充整備されたものと推定している。

確認できる遺構
土塁、空掘、郭、枡形小口、石積み、竪堀、切落としなど多数
構造的特徴および周辺の地理的特徴

 槻川が大きく北へ南へとほぼ180度流れを変えている岩尾根の中間部分にあり、尾根伝いに小川町の青山城と繋がっている。ついでに言えば槻川の上流には腰越城が同じような地形を利用して位置している。景勝地で有名な嵐山渓谷の西側の山。
 本郭と2郭を中心に小規模な腰郭を多用した縄張りがめぐらされ、全体として土塁と小口部分が良く遺されている。小口部分には石積みによる補強のあとも散見されている。また特に、本郭直下の枡形小口の状態のよさには目を見張るものがある。その分かも知れないが、要害ということに関しては杉山城よりも遥かに堅固な雰囲気が漂う。ただし、眺望自体は余りよくなく対岸にある山のほうが明らかに高く、東西方向に僅かに眺望が開けている。交通の要所でもないこの不便な位置に有力家臣の居城が置かれたことについて、「玉川村史」では、太田氏、上田氏などの在地領主に対する監視の役割を示唆している。主郭の高所からは大平山(標高179m)と正山(同165m)のあいだから菅谷館、大蔵館そして松山城方面が確かに望めるようになっている。

参考資料、古文書、記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「玉川村史 通史編」(1991/玉川村教育委員会編、玉川村発行)

文化財指定
埼玉県史跡
訪城年月日
2004/11/22
訪城の記録

<<2004/11/22>>
今のところの暫定版です。
 毎度のことながら準備不足のため、小倉城は見落とし個所が多くてとても報告できるような状態ではありません。 ついつい坂戸市の城館めぐりの延長で縄張り図などを頭に入れることなしに、紅葉の時期でもあるので、えーいこの際だからと、目の前にある越辺川対岸の岩殿丘陵を越えて行ってしまったというのが真相なのです。
 そんなわけでほぼ完全に近い枡形小口を見てかなり舞い上がってしまい、デジカメで前後の見さかい無く撮影していたもので、結局どこをどう撮影したのか訳が分からない状態となっています。通常ある程度の規模の城郭を撮影していく際には複写した縄張り図などに撮影位置と方向、撮影番号を書き込んでいるのですが、久しぶりに本格的「城郭」に対面したせいで完全に忘れてました。
 ま、とりあえず一度見ておいて疑問点や見落としなどのためにもう一度訪城して隅々まで良く観察するつもりでしたけど.....(^^; というのは、悔しさ半分の冗談ですが。そんな中でも取り敢えずの中間報告をということで。

北東の槻川に面した尾根の先端から攻略
 駐車スペースの関係で通常の南側からの道ではなく、あまり人が通りそうにない北東側からわざわざ斜面を這い上がり、尾根伝いに一路城跡目指して南西方向に向かう逆コースを取りました。根がへそ曲がりなもので(^^;。あ、一応半分ぐらいは踏み跡程度の道がありますけど。この選択は結果的に正解。南西側の道路沿いの駐車スペースは発掘関係の方の車で満車、といっても3台分位の場所ですけど。あとは崖から落ちないことを祈っての路駐となるので。

平日は発掘作業中
 平日は現在でも主郭の発掘作業が継続しており、主郭のなかはあちこちで発掘の作業のためのトレンチが刻まれ、かろうじで北西側の土塁部分のみが、まだ手を加えられていなかったので元の状態をなんとか確認することができました。小口については杉山城よりも良い状態で残されていますし、本郭の土塁もしっかり残っています。ただ本郭の部分は発掘調査中のため、城跡らしい雰囲気の写真を撮ることは難しそうです。ただ石積はあちこちに散見でき、また中央部分には、構造物の礎石のような石組らしきものも露出していました。(要するに自分にはなんだか分からないということです)

何と肝心な出丸の石積みを見落とす
 ただ、しばらく城らしい城に対面していなかったもので、完全に近い枡形小口に遭遇し感激のあまり、有名な南東部分の出丸石積みを見落としましたです。はい。(^^;    今現在は縄張り図が概ね頭に入れてありますので、そのことを忘れないうちに撮影に影響する太陽の方角も考慮に入れて近々再訪城する予定。

ハイキングでもマップは必携  
 帰りがけに小倉城への入口に当たる道路で、青山城方面から来た全員60歳台半ばと思しき女性のハイカーのグループから武蔵嵐山駅への道を尋ねられました。自分としてはこの辺は大体の土地勘があるもので、所要時間も含めておおよその説明を伝えました。しかし、国土地理院の地図とまで行かなくても、ガイドマップ程度の地図は持ってくるもんなんですけどね、普通は。小川町の青山城方面からの4時間程度の低山ハイキングとはいっても道を誤れば迷うこともある訳だし。
 最近中高年のハイキング・登山が人気を集めていて、そういえば嵐山渓谷付近の休憩所も高齢者のグループで賑わっていました。そこでも、この道はどこへいくのだと会話しているご夫婦がいたので、余計なことと知りつつも一応説明しましたが。ま、確かにこの辺で遭難騒ぎになることはまずないとは思いますが、ハイキング最低の常識の一つとして、コースを含む周辺のガイドマップぐらいは必ず持参してほしいものです。 皆さんザックだけは全員1泊2日の縦走向けの装備をしていましたけど(^^;。
 ともあれ、空が抜けるように蒼い小春日和の一日でした。

<<2004/11/29 再訪城>> 
今度は、縄張り図のコピーをしっかり持ってリベンジしたつもりだが....
出陣の遅参
 できるだけ朝早く出かけるつもりが、いつものことで出かけたのは結局9時30分頃に。ま、色々とごたごたしたことがあり...しかし、今度はおおむね訪城成功。
 縄張り図を頭に入れ、大きく分けて本郭と2郭から構成され、南東側の出丸部分を必ずチェックと、行きの車の中でイメージトレーニング。なにもそこまでと思うかもしれませんが、現地に行くとヒートアップと目移りのため肝心なものを見落とす場合が多いんです。
 今回は写真も撮影もあらかじめ用意していた縄張り図のコピーに「撮影番号」「撮影方向の⇒」「メモ」をきっちり書き込んできました。コピーだって同じもの5枚用意しましたからね。もっともそのメモをなくしたことが....今回はなくさずに持ち帰り内容も判読できたので、この頁の編集ができました(^^)

現場で説明を
 現地で発掘していた担当者の方にお話を伺えることとなり、発掘の状況と経過、今後の城址の管理保全、来年2月に予定されているシンポジウムのことなど長時間にわたり色々と伺いました。本当にお仕事中のご多忙の所を、ご丁寧に説明していただきありがとうございました。発掘調査の報告などが行われる2005年2月のシンポジウムが楽しみ。
 これに加えて、今度はできるだけ時間をかけてゆっくりと縄張り図のコピーを参照しながら見て回ったので、2度目ということもあり非常に分かりやすかった。何事にも準備と下調べが大切とこの歳になって実感。落ち着いてみてみると本郭の広さ、南側の土塁の高さ、北西側の斜面の険しさ、北東側の枡形小口の防御の堅さ。そういったことが手に取るように分かってきます。この瞬間は非常に嬉しいものがあります。2郭のほうも南西側の土塁の折とその高さが侵入者を固く拒む造りとなって、進入してきたものを上方から側面攻撃できる配置となっているのがよく分かります。

大福寺の裏手からのコースが最短
 今回は本郭直下の大福寺の裏手からのコースを選びました。急な登りですが、15分以内で登れますし、石積みのある郭もこちらからの方がよく見えるのでお勧めのコースです。きつい斜面を敬遠する方は少し南の舗装道路のほうから迂回する方法もあります。車は大福寺の境内の端には3台分ぐらいの駐車スペースがありましたので、そこに置かせてもらいました。ただ3ナンバーはやめたほうがいいかもしれません。幅員2mぐらいしかない参道をとおるもので脱輪すると身動きが取れなくなることに。
 さて、ゆっくりと小倉城を見て回ったもので午後1時30分に車の所へ戻り、もともと予定していた小川町の奈良梨陣屋へとむかった。

 


■画像クリックで拡大 枡形状の小口正面からの道はこのように直角に曲がっており、寄せ手は横矢により多大な被害を受けるつくりとなっている。こちら側を大手口とする考え方もあるが、主郭の直下なので「玉川村史」の記すとおり搦め手口と考えたほうが自然なような気がするのですが。
 この時期西日の日差しが強いのでむしろ薄曇の天気のほうが、撮影には向いているのかもしれません。
 <<2004/11/22 撮影 晴れ>>
交通アクセス

 大福寺の裏側の斜面のルートが最短コースです。


<<2004/11/22 晴れ 撮影>>
 嵐山渓谷に張出した地形の自然公園に寄って、紅葉見物などをしてから小倉城へ行って見ようなどとの魂胆が結果的には良くなかった。嵐山町の名前の由来などが刻まれた石碑。
 何とか紅葉の写真を撮ろうと探したのですが...。
 これは与謝野晶子の句碑。昭和14年6月14日に末娘とともに訪れている。句碑自体は最近建立されたもの。
 取り敢えず、近景ではこれが一番紅葉らしく撮れているわけで...。
 ■槻川にかかる谷川橋から西側方向を撮影。小倉城のある尾根筋が槻川に落ち込んだあたりの風景。この細く張出した硬い岩盤を持つ尾根のため槻川は小倉城の所を北から南へと180度迂回するように蛇行している。したがって、防御線の弱点は尾根続きである南西側の方面ということになる。これとほぼ同じような地理的条件の城が槻川の上流にある小川町の腰越城である。
 本郭への登り道、結構急なのぼりで隠郭方面からは完全に丸見えとなり、城方からの攻撃を避ける術がなさそうな感じが。
 隠郭と呼ばれているあたりだと思いますけど。
 主郭の北東方面にある枡形状の小口を上から撮影。小口部分の内側の高さは1.5から2m程度。大きさはさほどでもなく、大体3間×2間ぐらいの広さです。
 たしか、南東部分の出丸に向かう小口だったと思うのですが....、左側の部分に明らかに石積みのようなものがちらりと...。
 小倉城の石碑のあるところが城の最高地点らしい。手前の方は発掘中のため壁面が削られている。地図上ではこのあたりで標高138.5m。
 本郭北西側の土塁。内側部分で約1mから1.5m程度の高さ。この方面以外の土塁のほうが高そうなんですけど、発掘のためかなり慌しい光景となっています。
 南西側からの小倉城への上り口でしばらく登ると2の郭に出る。
 山火事防止の標柱。山火事で大黒柱になれなかったという「樹木の独白」が記されている。
 小倉城へと向かう林道。距離にして700mほど登って行くと、右側に車が3台ぐらい駐車できる道路脇の平坦地がある。その場所から右手に山道がある。これが小倉城の入口に向かう通常のコースらしい。自分の場合は逆コースでしたけど(^^;
 西日を受けての標高179mの大平山の無理やりの紅葉風景。肉眼ではこんなに紅葉しては見えません、どうも、今年は余り紅葉には向かない天候だったようです。
 晩秋の柿の実を撮影したつもりなんですけど。よく見れば小さな柿色の実がちらほらと...。


<<2004/11/29 晴れ 撮影>>これよりリベンジしたときの写真です。
 この場所が大福寺への参道の入口ですが、ご覧の通り幅員が狭くなっていますので、3ナンバーは入らないほうがよさそうです。
 後ろ側の山が丁度小倉城の主郭部分あたりになるはずです。
■画像クリックで拡大 大福寺に納められている遠山光景室の位牌。1978年7月25日指定の玉川村指定有形文化財。「玉川村史」では、奥方の位牌を安置したのは奥方が地元出身者であるからではとの推論を展開している。
■画像クリックで拡大 本郭東側の腰郭で 、光線の加減で見づらいのですが石積みが見られます。
 先ほどの腰郭の少し西側にある空堀状の窪み。光が当たって白く見える部分が、先ほどの腰郭の石積み部分。
■画像クリックで拡大 南東の出郭部分の南側の石積みの様子。
■画像クリックで拡大 同じ出郭を北東側から撮影。長年の風雪に耐かねて、だいぶ石積みの崩落がが激しいようです。
 一見主郭への小口のように見えますが、石積みなどの状況からみて小口ではなさそうだということです。
 こちら側が本物の小口部分です。主郭へのルートは出郭の外側を迂回しているようです。
■画像クリックで拡大 出郭の部分はこのように思ったよりも平坦で、2郭に次ぐぐらいの広さがあります。
■画像クリックで拡大 出丸の西側にある石積み。
■画像クリックで拡大 岩を切通にした部分。向かって右側が出郭、左が主郭から張出している小郭部分。
 両側の高さは約4mあり、この場所を通ろうとすれば、両側頭上からの激しい攻撃を受けることとなるのは必定。
 同じ個所をやや角度を変えて撮影。
 さてこれが主郭への南東側からの小口部分。内側で見ると分かりやすいが、石積みで補強されている。
■画像クリックで拡大 主郭の北東部分の枡形小口を上方から撮影。隠郭と主郭の両方から頭上側面攻撃を受けるように造られている。  
■画像クリックで拡大 主郭北東部分の石積み小口の向かって右側部分。ほとんどの小口には石積みが見られる。  
 主郭への小口はこのように坂曲り小口となっているので主郭からの上方側面攻撃を受ける。さらに、ここを突破しても細長い回廊が続くため、約2mほどの段差のある主郭方面から頭上に横矢を受け続けることとなる。
 主郭の北側部分はこのような傾斜があり、直接登るには骨がおれる。当時の足廻りの備えを考えるとほぼ不可能なような気がする。
 二度目の挑戦でも光線の加減でうまく撮影できない枡形小口。
 アングルを変えてみてもだめ。
 これも無駄な努力。結局のところ、薄曇の日が一番良いのかもしれない。
 枡形小口の手前は坂になっている。このあたりに城門があったらしいとのこと。ここでも主郭方面からの頭上側面の攻撃が...。
 堀切と思われる北東側の先端に近い部分。
 縄張りの北東の先端部分あたりで、左に見える深さ2尺程度の窪みは空堀跡か。
 隠郭直下の北東側からのルート。常に頭上右側からの攻撃を受けながら進むことに。
 枡形小口内側の石積みの様子。
 主郭から2郭に向かう小口で左側の土塁部分で発掘中。石積みの様子が少し見える。左側の部分がいくら手前に位置する喰い違い状に。
 主郭南側の土塁の内側部分。この右側の土塁がやや高くなっていて物見台があってもよさそうな土台である。
 先ほどの主郭の小口部分を外側から撮影。坂小口となっており、ルートは直ぐ写真の右手に曲がり、2郭の前でまた左に曲がる。したがって、寄せ手は主郭の頭上からの側面攻撃を受け続けることとなる。
 同小口のある主郭北西側の勾配。これを登りきるのはかなり困難。発掘すれば石積みで補強されていそうな感じもするが。
 主郭(右側)と2郭(左側)の間の堀切で、主郭へのルートは写真の右手手前から堀切に沿って左へと曲がり、また右に曲がる。2郭の北東主郭側の土塁は、かなり崩れているようで残念に思う。
 2郭北西側の土塁で、このあたりの内側での高さは約1m程度。2郭は南側に行くほど幅広くなる。
■画像クリックで拡大 2郭南西側の土塁を土塁の上から撮影。土塁の内側での高さは大体1m程度だが、折もあり幅も1.5間以上で規模が大きく見ごたえがある。写真の奥のほうが土塁の高さが高くなっている。
■画像クリックで拡大 先ほどの土塁の場所を少し角度を変えて撮影。
■画像クリックで拡大 中央の大きく凹になっているのがはっきりと分かる。
 2郭南西側の堀切部分。
 2郭南東部分の竪堀状の遺構。
■画像クリックで拡大  2郭の南東側にある3段から4段の腰郭を上方から撮影。この画面の左側の水の手付近の防御のためだろうか。
■画像クリックで拡大 腰郭群の最下部辺りから、上方を撮影してみたのだが....なかなか上手く撮影できない。デジカメのせいか、人間のせいか。
 午後になると先程のアングルも風景の印象が異なる。
■画像クリックで拡大 午後の大福寺。秋の西日のせいで陰影も味わい深くなる。小倉城は大福寺のちょうど真上にあります。
 
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