| 嵐山渓谷に張出した地形の自然公園に寄って、紅葉見物などをしてから小倉城へ行って見ようなどとの魂胆が結果的には良くなかった。嵐山町の名前の由来などが刻まれた石碑。 |
| 何とか紅葉の写真を撮ろうと探したのですが...。 |
| これは与謝野晶子の句碑。昭和14年6月14日に末娘とともに訪れている。句碑自体は最近建立されたもの。 |
| 取り敢えず、近景ではこれが一番紅葉らしく撮れているわけで...。 |
| ■槻川にかかる谷川橋から西側方向を撮影。小倉城のある尾根筋が槻川に落ち込んだあたりの風景。この細く張出した硬い岩盤を持つ尾根のため槻川は小倉城の所を北から南へと180度迂回するように蛇行している。したがって、防御線の弱点は尾根続きである南西側の方面ということになる。これとほぼ同じような地理的条件の城が槻川の上流にある小川町の腰越城である。 |
| 本郭への登り道、結構急なのぼりで隠郭方面からは完全に丸見えとなり、城方からの攻撃を避ける術がなさそうな感じが。 |
| 隠郭と呼ばれているあたりだと思いますけど。 |
| 主郭の北東方面にある枡形状の小口を上から撮影。小口部分の内側の高さは1.5から2m程度。大きさはさほどでもなく、大体3間×2間ぐらいの広さです。 |
| たしか、南東部分の出丸に向かう小口だったと思うのですが....、左側の部分に明らかに石積みのようなものがちらりと...。 |
| 小倉城の石碑のあるところが城の最高地点らしい。手前の方は発掘中のため壁面が削られている。地図上ではこのあたりで標高138.5m。 |
| 本郭北西側の土塁。内側部分で約1mから1.5m程度の高さ。この方面以外の土塁のほうが高そうなんですけど、発掘のためかなり慌しい光景となっています。 |
| 南西側からの小倉城への上り口でしばらく登ると2の郭に出る。 |
| 山火事防止の標柱。山火事で大黒柱になれなかったという「樹木の独白」が記されている。 |
| 小倉城へと向かう林道。距離にして700mほど登って行くと、右側に車が3台ぐらい駐車できる道路脇の平坦地がある。その場所から右手に山道がある。これが小倉城の入口に向かう通常のコースらしい。自分の場合は逆コースでしたけど(^^; |
| 西日を受けての標高179mの大平山の無理やりの紅葉風景。肉眼ではこんなに紅葉しては見えません、どうも、今年は余り紅葉には向かない天候だったようです。 |
| 晩秋の柿の実を撮影したつもりなんですけど。よく見れば小さな柿色の実がちらほらと...。 |
| この場所が大福寺への参道の入口ですが、ご覧の通り幅員が狭くなっていますので、3ナンバーは入らないほうがよさそうです。 後ろ側の山が丁度小倉城の主郭部分あたりになるはずです。 |
| ■画像クリックで拡大 大福寺に納められている遠山光景室の位牌。1978年7月25日指定の玉川村指定有形文化財。「玉川村史」では、奥方の位牌を安置したのは奥方が地元出身者であるからではとの推論を展開している。 |
| ■画像クリックで拡大 本郭東側の腰郭で
、光線の加減で見づらいのですが石積みが見られます。 |
| 先ほどの腰郭の少し西側にある空堀状の窪み。光が当たって白く見える部分が、先ほどの腰郭の石積み部分。 |
| ■画像クリックで拡大 南東の出郭部分の南側の石積みの様子。 |
| ■画像クリックで拡大 同じ出郭を北東側から撮影。長年の風雪に耐かねて、だいぶ石積みの崩落がが激しいようです。 |
| 一見主郭への小口のように見えますが、石積みなどの状況からみて小口ではなさそうだということです。 |
| こちら側が本物の小口部分です。主郭へのルートは出郭の外側を迂回しているようです。 |
| ■画像クリックで拡大 出郭の部分はこのように思ったよりも平坦で、2郭に次ぐぐらいの広さがあります。 |
| ■画像クリックで拡大 出丸の西側にある石積み。
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| ■画像クリックで拡大 岩を切通にした部分。向かって右側が出郭、左が主郭から張出している小郭部分。 両側の高さは約4mあり、この場所を通ろうとすれば、両側頭上からの激しい攻撃を受けることとなるのは必定。 |
| 同じ個所をやや角度を変えて撮影。 |
| さてこれが主郭への南東側からの小口部分。内側で見ると分かりやすいが、石積みで補強されている。 |
| ■画像クリックで拡大 主郭の北東部分の枡形小口を上方から撮影。隠郭と主郭の両方から頭上側面攻撃を受けるように造られている。 |
| ■画像クリックで拡大 主郭北東部分の石積み小口の向かって右側部分。ほとんどの小口には石積みが見られる。 |
| 主郭への小口はこのように坂曲り小口となっているので主郭からの上方側面攻撃を受ける。さらに、ここを突破しても細長い回廊が続くため、約2mほどの段差のある主郭方面から頭上に横矢を受け続けることとなる。 |
| 主郭の北側部分はこのような傾斜があり、直接登るには骨がおれる。当時の足廻りの備えを考えるとほぼ不可能なような気がする。 |
| 二度目の挑戦でも光線の加減でうまく撮影できない枡形小口。 |
| アングルを変えてみてもだめ。 |
| これも無駄な努力。結局のところ、薄曇の日が一番良いのかもしれない。 |
| 枡形小口の手前は坂になっている。このあたりに城門があったらしいとのこと。ここでも主郭方面からの頭上側面の攻撃が...。 |
| 堀切と思われる北東側の先端に近い部分。 |
| 縄張りの北東の先端部分あたりで、左に見える深さ2尺程度の窪みは空堀跡か。 |
| 隠郭直下の北東側からのルート。常に頭上右側からの攻撃を受けながら進むことに。 |
| 枡形小口内側の石積みの様子。 |
| 主郭から2郭に向かう小口で左側の土塁部分で発掘中。石積みの様子が少し見える。左側の部分がいくら手前に位置する喰い違い状に。 |
| 主郭南側の土塁の内側部分。この右側の土塁がやや高くなっていて物見台があってもよさそうな土台である。 |
| 先ほどの主郭の小口部分を外側から撮影。坂小口となっており、ルートは直ぐ写真の右手に曲がり、2郭の前でまた左に曲がる。したがって、寄せ手は主郭の頭上からの側面攻撃を受け続けることとなる。 |
| 同小口のある主郭北西側の勾配。これを登りきるのはかなり困難。発掘すれば石積みで補強されていそうな感じもするが。 |
| 主郭(右側)と2郭(左側)の間の堀切で、主郭へのルートは写真の右手手前から堀切に沿って左へと曲がり、また右に曲がる。2郭の北東主郭側の土塁は、かなり崩れているようで残念に思う。 |
| 2郭北西側の土塁で、このあたりの内側での高さは約1m程度。2郭は南側に行くほど幅広くなる。 |
| ■画像クリックで拡大 2郭南西側の土塁を土塁の上から撮影。土塁の内側での高さは大体1m程度だが、折もあり幅も1.5間以上で規模が大きく見ごたえがある。写真の奥のほうが土塁の高さが高くなっている。 |
| ■画像クリックで拡大 先ほどの土塁の場所を少し角度を変えて撮影。 |
| ■画像クリックで拡大 中央の大きく凹になっているのがはっきりと分かる。 |
| 2郭南西側の堀切部分。 |
| 2郭南東部分の竪堀状の遺構。 |
| ■画像クリックで拡大 2郭の南東側にある3段から4段の腰郭を上方から撮影。この画面の左側の水の手付近の防御のためだろうか。 |
| ■画像クリックで拡大 腰郭群の最下部辺りから、上方を撮影してみたのだが....なかなか上手く撮影できない。デジカメのせいか、人間のせいか。 |
| 午後になると先程のアングルも風景の印象が異なる。 |
| ■画像クリックで拡大 午後の大福寺。秋の西日のせいで陰影も味わい深くなる。小倉城は大福寺のちょうど真上にあります。 |