1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録 | |
2017年10月5日のブログ 凸東矢島城 | |
|
群馬県太田市西矢島町 |
|
|
|
消滅 ※館跡は赤城神社の東西に2か所の環濠屋敷が認められたというが、現在ではその何れもが地表上から確認することは困難となっている。ただし西の環濠屋敷の区画の一部は現在の道路の位置に合致している。 |
|
なし |
|
2017年10月5日 11時00分から11時20分 |
( 2017年10月5日 撮影 ) |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
||||||||||||||||||
凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林) 「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社) 「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ■郷土史・歴史 「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社) 「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社) 「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社) 「群馬県の歴史」(1997/山川出版社) 「新田一族の中世」(2015/吉川弘文館) 「新田三兄弟と南朝」(2015/戎光祥出版) 「新田一族の盛衰」(2003/あかぎ出版) 鎌倉攻め際の「相模国 天野経顕軍忠状」(※「天野文書」)に新田矢島次郎の名があり、矢島氏は大舘家の庶子としてこの合戦に加わっていたものとされている。(109頁 ) 「太平記の里 新田・足利を歩く」(2011/吉川弘文館) 「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店) 「太田市史/通史編/中世」(1997/太田市) ■史料 「新潮日本古典集成 太平記 全5巻」(1990/新潮社) 建武3年(1336)10月から翌年3月に起きた「金ケ崎城の攻防」において、落城の最中に矢島七郎が辛くも脱出した旨の記述が見える。 「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集) ※諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収 「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会) ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収 「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ※上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収 「戦国軍記事典―群雄割拠編」(1997/和泉書院) 「上野国志」(1974影印復刻/関東史料研究会) ■データベースほか 「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) 「国土地理院航空写真」⇒掲載されている航空写真について引用しこれを編集加工した ・2017年11月3日 HPアップ
・2019年6月27日 画像ズレ補正 |