1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録 | |
2017年10月5日のブログ | |
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群馬県太田市東矢島町 |
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なし(不詳) |
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なし |
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2017年10月5日 11時30分から11時50分 |
( 2017年9月14日 撮影 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係資料
・「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林) 掲載されている情報を元にすると、国道407号線東に所在する長良神社境内とその周辺(西側の集落を含む一帯)であることが示されてはいるが、地表に現れた明確な城館遺構についてはこれを確認することはできない。 ・「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社) 巻末の城館一覧表に「矢島城 太田市東矢島 林越中守高宗が在城、遺構はほとんど認められない」との記載があるのみである。なお、所在地表記の下線部分については疑問が残る。 ・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「矢島城 太田市東矢島 いまの神社のところであるが、その遺構は全く不明である。新田政義(※新田義重から3代後、新田義貞からは4代前)の三男谷島(※矢島とも)三郎信氏がここに館を作って矢島氏を称した。矢島七郎安高は金ケ崎で善戦し落城直前、船田経政ら3人と共に脱出し行方不明になったと「太平記」にいう。 由良氏のこの、矢島城主であった林越中守高宗は由良の長臣で、小田原の役後、由良貞繁に従って牛久に去り、文禄2年(1593年)4月17日死去した。」と記されている。なお、所在地表記の下線部分については疑問が残る。 ・「群馬古城塁址の研究」(山崎一/群馬県文化事業振興会) ■郷土史・歴史 ・「新田一族の中世」(2015/吉川弘文館) ・「上野新田氏」(2011/戎光祥出版) ・「新田一族の戦国史」(2005/あかぎ出版) ・「新田義重」(2013/戎光祥出版) ・「新田義貞」(2005/吉川弘文館) ・「新田三兄弟と南朝」(2015/戎光祥出版) ・「新田一族の盛衰」(2003/あかぎ出版) 鎌倉攻め当時における相模国天城経顕が提出した軍忠状(「天野文書」)に「新田矢島次郎」の名が見えるとしている。 ・「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店) 「矢島村」「東矢島村」「西矢島村」「上矢島村」の各項を参照した。 ・「新田町誌第4巻/特集編/新田荘と新田氏」(1984/新田町) ・「新田町誌第1巻/通史編」(1990/新田町) ・「新田町誌第2巻/資料編上(1)」(1987/新田町) ・「尾島町誌/通史編/上巻」(1993/尾島町) ・「太田市史/通史編/中世」(1997/太田市) ■史料 ・「現代語訳吾妻鏡」(2007-2012/吉川弘文館) ・「吾妻鏡事典(2007/東京堂出版)」 ・「新潮日本古典集成 太平記 全5巻」(1990/新潮社) 建武3年(1336年)の金ケ崎城攻防くだりに新田方の一人として「矢島七郎」の名が記され、同城の落城に際し土岐阿波守、栗生左衛門とともに切腹を試みようとしていた折、船田長門守経政(※新田氏執事)が再起を期して海辺の岩窟に難を逃れた旨の記述があるが、このほかの矢島氏の事跡については語られていないようである。 ・「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会) ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収 ・「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ※上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収 ・「戦国軍記事典―群雄割拠編」(1997/和泉書院) ・「上野国志」(安永3年、1774年/毛呂権蔵) 1910年刊の刊本を国立国会図書館デジタルコレクションでウェブ閲覧可能である。しかし「刊本」と「原書」には多少の異同があるものと思われ、この矢島村の記述においても「新田太郎政義の三男谷島三郎信氏の居る処なり、別に西、東の矢島村あり」について、刊本には下線部分の表記は見られないが、原書においては「太田市史通史編中世」の記述を見る限りでは「脚注」のような形態で記されているようにも思われる。 ■データベースほか ・「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) 城館跡としての扱いは無く、「宮西遺跡(奈良、平安の集落遺構)文化財包蔵地」に含まれる地域となっている。 ・「国土地理院航空写真」⇒掲載されている航空写真について引用しこれを編集加工した ・2017年10月26日 HPアップ
・2019年 6月27日 画像ズレ補正 ・2019年 8月20日 「歴史、人物、伝承」の項を加筆訂正 |