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群馬県邑楽町の城館索引へ戻る 鶉古城遠景 鶉古城のバナー 土塁
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月2日のブログ 鉢形城
所在地
 群馬県邑楽郡邑楽町鶉新田小城
歴史、人物、伝承

小曽根氏の居城
 現地解説板等によると、元弘3年(1333)5月鎌倉幕府が滅亡した時に北条高時の弟であった僧彗性(えしょう)、荒間朝春らは共に逃れてこの地に築城したと伝えています。また応永年間(1394−1428)には多々良四郎忠致(ただむね)の居城となったともいわれています。
 戦国時代には鉢形城主小曽根政義(おそねまさよし)が、天正13年(1585)の小田原北条氏来攻に備えた城であるともいわれています。田代善吉氏著の「栃木県史」(第7巻)によれば、足利家の一党御厨重郎忠国の末孫小曽根玄蕃政義は足利荘に鉢形城を構えたとの伝承を記しています。また小曽根政義は館林城主赤井山城守に仕えていたともいわれ、「長尾顕長分限帳」(長林寺蔵)によれば、名草城の押番(城代か)として小曽根筑前守が150貫文を知行していたことが記されています。
 その後は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻略による館林城落城に伴い廃城となったものと考えられています。

確認可能な遺構
 土塁、堀、郭など
文化財指定
 邑楽町指定史跡
訪城年月日
 2009年2月2日 9時10分から10時00分、2008/11/24、2009/02/07
訪城の記録 記念撮影

 毎度のことではありますが、今回も遅くも午前6時過ぎ頃には出発の予定でありました。然し2匹の家ネコたちの幸せそうな寝顔を眺めているうちに6時半を経過。餌やりやトイレの片付けなどをしているうちに日が昇り始めるという始末。結局、自宅を出たのは午前7時過ぎに。 昨年12月の探訪の連続で気力を使い果たしたのでありましょうか。単独での探訪はどうしても出発時刻が遅くなり勝ちに。さほどの標高・比高差が無いとはいえ、ルート不詳の山城2か所を含むという先行き不透明な行程でもありました。
  昨年11月に続く再訪でしたが、昨年訪れたのは日没後の午後7時過ぎだったので真っ暗闇の世界。従って、デジカメの撮影画像は全部夜景でした。
 さて、鶉小城は白鳥などの水鳥が飛来する多々良湖に所在しています。超望遠カメラを携行したバードウォッチングの方々が朝から約100名以上もおいでになりました。このほかゲートボール参加者が約20名と散策中の方が10名ほどばかり。無論、黙々と土塁を観察しているのは小生1人のみでありました。
 まずは手順どおりに外郭の土塁と堀跡を撮影。多々良湖の湖畔からの遠景も秀逸。次に日向ぼっこ中のネコを撮影。然も3匹も。 近寄っただけで逃げられることも少なくないなか、向こうから近づいてきて体を擦り付ける仕草。こうなると城跡よりも、ネコいじりモードに。3匹のネコさんたちとと仲良くなったあと、今度は別のネコと視線が合い... 結局、滞在時間の半分以上をネコたちと過ごしていたのでありました。
                                             ( 2011/10/2 記述 )

鶉古城遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
鶉古城遠景(南側より)
現地解説板の画像へ
( 2009年2月2日 撮影 )
訪城アルバム
土塁と堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 土塁と堀跡
 西側の堀跡と土塁で、堀底からの高さは4m近くにも及ぶ個所も所在します。
凸2 土塁
 南側から撮影したもので、直線型の土塁ですが上幅も広くその質感の大きさにに圧倒されます。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収

・2011/10/2 HPアップ
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