凸石塁の現存する平城 西平城の真北約600mの地点に所在する鏑川とその支流である舟川の合流点となる独立した河岸段丘上に占地し、「日本城郭体系4」などによれば、藤田信国あるいは小間氏が在城したとも伝わり、西平城(大島上城)の里城(下城)とも考えられている模様である。 その別名を大島城(「日本城郭体系4」)あるいは小間屋敷(「関東地方の中世城館5栃木・群馬」)ともいう。
凸 郭形状の現存 この日先に訪れた藤田城、二ツ山城は、事前の予想通り曖昧な遺構でしたので急遽追加で探訪することとなりました。 といっても耕地化された平城跡ですので過大な期待はできそうにありませんでした。 耕地辺縁部に現存している石塁は古そうな川原石を使用していることを除いて、その時代背景については即断はしかねます。 また、城跡の北端部にはかつての領主階層の後裔と推定をされる小間姓の墓地も現存しておりました。
またよく見てみると南端部の宅地側にも土塁(石塁)遺構が現存しておりました。 このような次第で耕地化された平城が山城を抑えて本日の最大の収穫となりました。 ただし途中からデジイチにとっては禁物の天気雨が降り始め3代目となるソニーDSLR-A350機を保護すべく撤収することを余儀なくされてしまいました。
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