群馬県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
群馬県富岡市の城館索引へ戻る 大島下城遠景 大島下城のバナー 大島下城石積み
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011年3月30日のブログ 西平城
所在地
 群馬県富岡市大島字屋敷
歴史、人物、伝承

石塁の現存する平城
 西平城の真北約600mの地点に所在する鏑川とその支流である舟川の合流点となる独立した河岸段丘上に占地し、「日本城郭体系4」などによれば、藤田信国あるいは小間氏が在城したとも伝わり、西平城(大島上城)の里城(下城)とも考えられている模様である。
 その別名を大島城(「日本城郭体系4」)あるいは小間屋敷(「関東地方の中世城館5栃木・群馬」)ともいう。

確認可能な遺構
 主郭、空堀、石積み?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年3月30日 13時20分から13時35分
訪城の記録 記念撮影

 郭形状の現存
 この日先に訪れた藤田城、二ツ山城は、事前の予想通り曖昧な遺構でしたので急遽追加で探訪することとなりました。 といっても耕地化された平城跡ですので過大な期待はできそうにありませんでした。
  耕地辺縁部に現存している石塁は古そうな川原石を使用していることを除いて、その時代背景については即断はしかねます。 また、城跡の北端部にはかつての領主階層の後裔と推定をされる小間姓の墓地も現存しておりました。


 またよく見てみると南端部の宅地側にも土塁(石塁)遺構が現存しておりました。 このような次第で耕地化された平城が山城を抑えて本日の最大の収穫となりました。
 ただし途中からデジイチにとっては禁物の天気雨が降り始め3代目となるソニーDSLR-A350機を保護すべく撤収することを余儀なくされてしまいました。

   ( 2011/04/10 )記述
大島下城 ⇒ 画像クリックで拡大します
大島下城 −画像A−
( 2011年3月30日 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」掲載の情報および「電子国土」の地形図等を参考に現地での印象を加味して作成しています。

大島下城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
土塁(石塁)の断面 ⇒ 画像クリックで拡大
天然の水堀 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 土塁(石塁)の断面(画像1−1)
 郭の位置関係などからの画像左側(道路側)が郭内と推定され、また、本来は土塁であったものを後世に石積みを加えたようにも思われます。
凸2 天然の水堀(画像2−1)
 城跡南端部は水量と比較すると深さ、幅ともに大きな天然の水堀がとなり鏑川へと注ぎ、東方には鏑川の支流である舟川が北流し独立した河岸段丘を形成しています。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)

■郷土史・歴史
「富岡市史 自然編、原始・古代中世編」(1987/富岡市)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)


・2011年4月10日 HPアップ
トップ頁へ 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動