凸大類一族の屋敷跡? (仮)本村城の北北東の麓、白倉川とその支流である庭谷川に挟まれた地形に所在する平地の城館跡である。その相互の位置関係から、(仮)本村城とは戦時の詰城と平時の居館という関係も窺われるがあくまでも推測の域を出るものではない。 「甘楽町史」などによれば、大類主水正の屋敷跡とも伝わっているとのことであるが、その詳細については不明であり、既に1970年代中頃から遺構自体も定かではなくなっていた模様であり、その現状は宅地と畑となっている。また、この大類氏が関東幕注文に記された惣社衆大類氏とどのようなに関わりを有しているかについても明確ではないらしい。
( 2011/05/14 記述 ) 凸 遺構皆無 近年の宅地化は元より、西側の大規模な河川改修、屋敷跡を分断する水路の開削などのため屋敷跡としての名残は概ね消滅しているという印象でした。僅かに東西方向に伸びる堀跡らしい水路の存在と西側河川の旧流路を示す地形等にその痕跡が認められるようにも思われますが、おしなべて遺構皆無というところです。 南東隅の新しそうな石碑・石祠が設置された個所の「招き猫」の画像を撮影して、この日の当初の予定を完了しました。
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