凸仮称本村城? 大類屋敷の南南西、曹洞宗松泉寺境内西方の台地であり、白倉城、仁井屋城と東西に等間隔で並び舌状台地先端部に立地している。その地理的な条件から白倉氏、大類氏との関係も想定されるもののその詳細については不明といわざるを得ない。 城館跡としての出典は「群馬県文化財システム」の情報に基づくものであるが、城館名については小字名が概ね本村(ほんむら)に相当していることから取敢えず本村城と仮称した。あるいは近くに松泉寺が所在することから松泉城などとも称すべきなのかもしれないが、前記の同システムには「中世の城館跡」との注記が確認されるのみで具体的な城館名の記載は見られない。
( 2011/05/14 記述) 凸 大類氏館、松泉寺城... 情報元は群馬県文化財DBからです。また名称はあくまでも付近の旧小字名から、管理人が勝手気ままに名づけた仮称でありまする(汗) 実際に訪れてみますと、東麓の曹洞宗松泉寺墓域を含む寺域に含まれていることから「松泉寺館」というべきかもしれません。また或いは、墓石、檀家等の事情を含む大類氏後裔の方々との関わりから「大類氏館」などとと呼称すべきなのかも知れません。 「遺構」としてはあくまでも部分的に土塁状地形、郭状地形等が現存しておりましたが、これらが何時の時代のものであるのかその経緯も含めて全く不詳なのであります。
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