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 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
群馬県藤岡市の城館索引へ戻る  鼠喰城中腹のゴルフ場からの遠望 鼠喰城 鼠喰城からの眺望
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/18のブログ 七村城
所在地
 群馬県藤岡市上日野字御荷鉾山   ※所在地情報は「藤岡市史資料編」より引用
歴史、人物、伝承

比高差360mの梯郭形式山城
 日野七騎の一家である小柏八郎重家が貞治6年(1367)に築城したと伝わりますが、高所に築かれた梯郭形式の山城であることから南北朝期のものと示唆されています。(「藤岡市史資料編」「日本城郭全集」「多野藤岡地方誌」などより引用)
 城跡は西御荷鉾山北側の峻険な岩尾根に占地し、厳冬期の寒さや季節風などの事情を考慮すれば居住することを前提としたものではなく、あくまでも戦時の臨時的な城郭であることが窺われます。
 城跡遺構の郭群は大きく4ブロックに分かれるとされ、おそらく1段目は標高635mの不動明王鳥居付近、2段目は標高738m三角点付近、3段目は標高930m付近、4段目の主郭部分が970m付近あたりではないかと推定されますが余り確信はありません。
 小屋掛け可能な平場は2段目と3段目の尾根筋脇にそれぞれ一か所ずつ確認できますが、北側の風当たりの強い尾根筋であり、当該地の標高の高さ及び厳冬期の気象条件から考慮しますと人の常駐は困難を伴うと考えられることから、物資を保管する程度の小屋と想定するべきなのかも知れません。

確認可能な遺構
郭、平場
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年4月18日 13時45分から17時05分
訪城の記録 記念撮影

( 2009/04/22 )
 3年越しの宿願達成
 この日最大というよりも近年最大の目玉となる城館探訪ですが、無論遺構の状態の良否や多寡ではなく、あくまでもアプローチの難易度という部分での話であります。
 さて事前の資料とは相反し登り口である不動明王の鳥居からの比高差は携行した高度計によれば、少なくとも380m以上を計測。ところが電子国土等の地図上で見る限りは360mほど。僅かな差ではありますが、この差がなぜ発生したのかは今以って不明で、多少のアップダウンと難易度等を勘案すれば間違いなく比高差400m相当に。
 また平面上での移動距離は踏査した正確なルートを確認できないので、概ね800mから1kmほどかと思われます。
稜線の大半は緑泥片岩質でヤセ尾根の急斜面ですが、所々に設営されたトラロープが経年変化による劣化のため断裂若しくは断裂寸前のものが少なくなく..
 山歩きの経験はそこそこあるにはあるのでありますが、久しぶりに生命の危機、滑落、行方不明、遭難と縁起でもない単語が次々と登場する局面に再会できて嬉しい...などあるはずもなく。

 さて艱難辛苦の登攀ののちに、ネコの額ほどの山頂の小祠の姿を見出したときには達成感で感涙の極みに。
腰を下ろして休憩したいところなれども、座ったら最後立ち上がれないほどの疲労感が(苦笑)
 なお登り口である鳥居からの所要時間は休息を含めて1時間50分ほどで、かなりの山慣れした健脚者でも安全を考慮すると1時間30分ほどかと思われます。
 また標高830mから930mの間での平面上の移動距離は僅かに100m。すなわち分度器の二等辺三角形の鋭角の角度ということに。つまりは斜度45度、比高差100mの斜面をそのまま直登していた計算で...文字通り武蔵直登の面目躍如ということに。遺構の多寡は別として、計画以来足掛け3年にわたる念願の鼠喰城の制覇にいたったという次第。

 前日は雨で、岩場、急斜面の多い地形。本来ならば登山の常識に照らし順延が相当なところ。折りしも季節はうつろい始め、木々の芽吹き寸前でありました。
 今回の鼠喰城制覇は無論単独では到底成しえない所業にて。 参加者全員に事故も無く無事帰還したことは慶賀の至り。 そうしたなかで取分け全身疲労と筋肉痛が体中に蔓延し始めてきた年齢的にも今年あたりがギリギリの管理人なのでありました。

「鼠喰城遠望」 ⇒ 画像クリックで拡大します
鼠喰城遠望(中腹のエース倶楽部ゴルフ場へのアクセス道路より)-A-
( 2009/04/18 撮影 )


(注) 「矢印と番号」は、だいたいの撮影地点と方向を示していますが厳密なものではありません。
諸事情によりかなりアバウトな概念図です
※ 各郭の配置状況、等高線の本数、周辺地形ともに不正確ですので予めお断りをいたします。
訪城アルバム
奈良山の集落よりの鼠喰城遠望 ⇒ 画像クリックで拡大します
不動明王の鳥居が登り口の目印 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 鼠喰城遠望
 直線距離で1.4km離れた北北東の奈良山集落付近から撮影した遠景です。
 この時点では南側の西御荷鉾山の山頂(1286m)は雲に隠れ、フェーン現象気味の幾分天候が不安定な状態で、遠雷の響きと相俟って登攀成功率50%強と想定しておりました。
 鼠喰城の主郭部分を含む稜線は手前の尾根筋に視界を遮られて殆ど見えませんが、山頂部の主郭付近のみが僅かに頭を覗かせておりました。

鼠喰城遠望(ズームインしたもの)
鼠喰城遠望(のどかな山村風景とともに)
凸2 鼠喰城登山口
 事前に収集した情報ではこの不動明王の鳥居の所在地が明確ではなく、先ずは鳥居を見つけ出せるかどうかという課題がありました。標高はおよ630m弱
 しかしゴルフ場の周回道路(この時には奥ノ反集落への道路が通行止めにより市役所の迂回指示表示あり)経由で進んだところ、峠状地形の個所に一目瞭然の状態で鎮座。無論、鼠喰城へはこの地点から石段を上り入山。
 なお駐車場は特にありませんが、画像右側の道路沿いに2台ほどなら十分に路駐できるスペースがあります。
神社の由来等が刻まれた石碑
⇒2−1鳥居付近の平場状地形

下から2段目の郭群付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
次第に難路の様相 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 下から2段目の郭群付近
 この辺りが標高738mの三角点を有する下から2段目の郭群付近かと思われます。
(注)これ以降の画像については、兎に角尾根筋を登攀することがすべてに優先されて半ば記憶が飛んでおりますのでかなりの齟齬が...(汗)
⇒比較的良好なルートである2段目の郭群付近
凸4 噂通りの地形に
 下から数えて2番目の郭群を過ぎたあたりから次第に難路の様相を呈し始めます。
 すなわち稜線は痩尾根で足元軟弱。滑りおちたら到底物理的には戻れないであろう両側の急斜面。
岩場の先端部
岩場

山頂方面 ⇒ 画像クリックで拡大します
険しさを増す尾根筋の岩場 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 山頂方面
 杉木立の合間から垣間見える鼠喰城の山頂方面ですが、このあたりではいまだ比高差では半分にも満たないのであります。
 尤もそのことを知りえたのは山頂へと辿り着いてからのことで、それはそれで良かったのかも知れません。

岩場
進行方向右手の平場
凸6 険しさを増す尾根筋の岩場
 このあたりから急激にに尾根筋の傾斜角度が増し通常左手で携行している関係資料をザックへ収納し両手をフリー状態に。尾根筋は狭まり迂回もならず、その平均斜度は無情にも確実に45度に近づいて行くのでありました。
 こうしてついには名誉ある撤退の文言さえも脳裏に浮かび始めてしまうのでありました。
⇒6−23段目の郭群付近
⇒6−3進行方向左側の規模の大きな平場状地形
⇒6−4ここまでくれば...


主郭手前最後の登攀 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 主郭手前最後の登攀
 この個所も、もしも足を滑らせば「滑落」「行方不明」「遭難」という最悪の事態が想定されますので、足元を確認しつつ慎重に一歩一歩前進を。
 尤も管理人の場合には、足取り自体が重いので必然的にそのような足運びとなっていたようですが。
岩場の直登
一人分の専用岩穴
岩場先端
凸8 主郭付近
 標高965m前後と推定される、「城さま(じょうさま)」と呼ばれる主郭北端の小祠が所在するピーク。
 到着時刻は15時40分なので、登りの所要時間は1時間55分ほど。還暦近い管理人にとってはほぼ限界の状態のためデジカメ画像も些か朦朧としております。
 なお、通常の健脚者ならば90分位かとも。

主郭からの眺望

「城さま」方面からのルート ⇒ 画像クリックで拡大します
鼠喰城主郭の近影 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸9 帰路
 疲労困憊のため肉体的な足取りは決して軽くはなかったと思われますが、心の中では言葉では表すことのできない充実感・達成感に充ち溢れあたかも凱旋の如き下山行となっていた模様です。この地点が最も高く標高970m余りかと思われます。
「城さま」方面からのルート
凸10 鼠喰城主郭の近影
 主郭の西側斜面一帯は石材資源等の採掘のため岩盤が剥き出し状態となっています。
 このため主郭付近ではあくまでも慎重な行動が必要です。

鼠喰城主郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
不動明王の神額 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸11 鼠喰城主郭
 こうして眺めてみますと、主郭左側のピークの傾斜角度は確かに斜度45度に相応しい急峻な地形です。
 それでも足場が安定して、且つ掴めるものがあればそれほどは問題ないのですが、実際には足場はあくまでも脆く、掴まるべき木の枝は枯木が多く...半ば四つん這いの姿勢になって止むを得ずに地面を握りしめつつ登攀をしていたのでありました。
凸12 不動明王の神額
 実際に使用することはありませんでしたが、あくまでも最終的な局面を想定して、一応カラビナ付で捨てザイルを接続した50mザイル(耐荷重は約800Kg)を携行いたしました。
 このほかには救急セット一式、非常食糧2日分も携行し、電子国土、GoogleなどのWEB情報は可能な限り収集し地形の特徴を頭の中に叩き込み...(苦笑)
 これではまるで「山岳サイト」のような記述に...反面、城郭遺構らしい画像は無いに等しいような...(汗)
交通案内

・エースゴルフ倶楽部南側に所在する不動明王の鳥居が登り口で境内の尾根筋をそのまま南へと登攀する
比高差は約360m、健脚者で90分、ただし標高830m地点から斜度45度の登攀が比高差で100mほど続きます
中級の山岳経験または複数による登攀(登攀者と足場の状況次第では100mザイル2本要)が好ましく、念のため非常食糧 を含む装備要
・(注)不動明王の参道に向って右側の林道(車道)は私有地のためゲートが閉鎖され進入禁止です

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史関係
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)
⇒「大字上日野西御荷鉾の中腹にあって、普通これを城(じょう)と称す。東西25間(約45m)、南北45間(81m)平坦で2段になっている..」との記述がみられますが、現状の城跡地形とは大きく隔たっています。

「多野藤岡地方誌」(1976/多野藤岡地方誌編集委員会)
「藤岡地方の中世史料」(1988/藤岡市)
「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)

■史料
■「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 上毛古城塁址一覧を所収

■その他
「群馬県文化財情報システム」(文化財データベース)⇒掲載あり


・2009/04/22 HPアップ
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