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群馬県邑楽町の城館索引へ戻る 中野城 中野城のバナー 中野城の大カヤ(県指定天然記念物)
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月2日のブログ 鶉古城 
所在地
 群馬県邑楽郡邑楽町大字中野字元宿
歴史、人物、伝承

中野景継の居城
 文永2年(1265)新田氏の一族(里見氏系)である大島時継の次男中野景継がこの地に居城(居館)を構えたとされ、その名残りは城跡に建立された神光寺の大カヤとして残っているとされています。景継の子藤内左衛門は延元3年(1338)越前国藤島にて新田義貞と共に討死を遂げ、この居城は一時廃城となりました。
 戦国時代にの永禄年間(T558−1570)小泉城主富岡市騎下の宝田和泉守が中野城を改修しその居城としましたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻略に伴い廃城となりました。

確認可能な遺構
 凸凸
文化財指定
 なし、ただし城跡に建立された神光寺の大カヤは群馬県指定天然記念物(推定樹齢750年)
訪城年月日
 2009年2月2日 10時10分から10時40分
訪城の記録 記念撮影

 寛永2年(1625)に建立された神光寺境内一帯が城跡である模様です。北東の英霊塔の個所に駐車させていただき探訪を開始。この北東部分の土塁状の盛土が往時の城郭関連遺構かどうかについてはやや微妙な印象もあります。
 当初の手筈どおり境内の周囲を反時計回りに一周。境内南辺の細い通路の折は僅かに当時の堀跡の名残を感じさせてくれます。このあと本堂に参詣すべく山門に向かうと、参道の左側に中野城の解説板を発見。これによれば、かつては南辺に土塁と堀跡が僅かに残存していた模様であるとのこと。残念ながら現在は道路整備などに伴いほぼ完全に消滅しております。とはいえ、予期しない解説板との出会いは殊更嬉しいものがありました。

( 2011/10/4 記述 )
中野城の中心部付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
中野城の中心部付近
現地解説板の画像へ
( 2009年2月2日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)

■郷土史・歴史
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「新田一族の盛衰」(2003/久保田順一 著/あかぎ出版)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収

・2011/10/4 HPアップ
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