群馬県内の城館跡目次
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群馬県の城館索引へ戻る 小坂子城 小坂子城のロゴ 小坂子城の遠景
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2018年1月16日のブログ 兎貝戸の砦 
所在地
 群馬県前橋市小坂子町(こざかしまち)西新井
歴史、人物、伝承

嶺城の支城説
 赤城山南麓の南北約250メートル、東西約80メートルの南北に細長い低丘陵に築かれた城跡で、東を大神川、西はこれに並行する小河川を天然の濠として防御しているが、河岸段丘の比高差も余り高いとは云い難い。戦国時代の末期である永禄5年頃からから天正11年間頃までは、越後の北条氏(きたじょうし)が厩橋領を統治していた時期もあり、その支城などとして利用されていた可能性もあるのであろうか。また、現地解説板の表記によれば別名を西新井城ともいうようである。
 なお、「前橋市史第1巻」によると飯土井の「赤石城」との縄張の酷似から、「嶺城」の支城であろうとの記述がなされているが、築城者、築城の時期、廃城の時期などその歴史的経緯は明らかではないらしい。また、「日本城郭全集第3巻」によると、近世の「三十三間堂の通し矢」の逸話に登場する五十嵐庄左衛門は小坂子の出身とされているが、あくまでも当城館跡との関係は不明である。

確認可能な遺構
 郭?堀跡?
文化財指定
 なし/現地解説板あり
訪城年月日
 2018年1月16日 13時50分から14時30分
訪城の記録 記念撮影

 兎の次は亀の如き歩み
 「兎貝戸の砦」からは芳賀中学校の東側の道を真っ直ぐに北上して小坂子城へと向かいました。このルートも僅か600m足らずの至近距離ではあるものの、進行方向は赤城山の山頂方面のため比高差約20mの緩やかでも、加齢と運動不足の身には結構足回りに響く坂道なのでありました。
 先ずは城域の南端部でもある台地先端に鎮座する小坂子八幡神社にてこの日何回目かの初詣祈願。そういえば正月を挟み滋賀県甲賀地方の遠征以来約40日ぶりに出かけたこともあり、常時携行アイテムである賽銭用の小銭入れを自宅に忘れてくるというような有様でした。城跡へはこの八幡神社の参道から入り境内地を東側に抜け、東側の崖線に沿った農道のような細道を北へと向かいそのまま県道34号線まで歩くというルートをとってみました。
 ひとつ前の兎貝戸の砦と同様に東側の防御線は大神川の崖線部となっているものの河岸段丘としての段差は小さく、天然の濠とはいえ明らかに防御性が不足しているという感は否めません。また、この辺りからは対岸の「出城」ともいわれる南北に細長い林が目に入りますが、その後の宅地化や耕作などによりその面影は感じられませんでした。
 一方、主郭付近には土塁跡も残されているらしいのですが、生憎と宅地内の裏手辺りらしいことから直接目にすることはできませんでした。出城付近の様子を県道から一瞥したのち、県道を西へと引き返し、城跡西側の緩やかな市道の下り坂を崖線地形を観察しながら南下していきました。主郭とその南に続く城域を分ける堀切状地形の麓には小さな解説版が設置されていました。 ただし後世に埋め立てられたのか堀切としてはやや中途半端な印象もあり、当該解説板などと照合すると主郭南側の堀跡らしいことに気がつきました。そして、 さらに市道を南下していくと八幡神社境内へと登る階段があり、登りきった所には古びた木製の城跡標柱が所在しておりました。
 この時点で日没までは未だ2時間ほどの余裕がありましたが、両膝の具合が変調を来してきたようにも感じていたことから、この日の探訪は終了することとして、この後は県立前橋図書館へと向かい、自治体史などの関係資料を300枚ほど複写。県立図書館を退出したのは午後5時前で、そのまま往路同様に上武道路経由で太田市内へと戻り、往路とは反対に深谷市−熊谷市−東松山市と経由して午後7時半頃に自宅に帰着しました。なお、この日の歩行距離は僅か20キロメートル足らずでしたが、この後は情けないことに足回りの養生と風邪などのため、約2か月余り行動不能状態に陥りました。
( 2019/1/21 )記述
小坂子城の全景
小坂子城の全景 −画像A−
( 2018年1月16日 撮影 )
凸城跡の北東方向から撮影した「小坂子城」の全景ですが、往時は別として現状では城外との比高差がそれほど無く余り要害性があるようには見えませんでした。

小坂子城の現地解説板
小坂子城の現地解説板 −画像B−
( 2018年1月16日 撮影 )
凸「兎貝戸の砦」に設置されているものと同様の形式のもので、下記の画像Cの個所に設置されていました。

小坂子城主郭南側の堀跡
小坂子城主郭南側の堀跡 −画像C−
( 2018年1月16日 撮影 )
凸主郭南側の堀跡とされている通路で、通路の左側に城跡の解説板が設置されています。

国土地理院の航空写真画像
国土地理院の航空写真画像 −画像D−
( 2019年1月20日 編集加工 )
凸当時の在日米軍により撮影された航空写真を編集加工したもので、「小坂子城」と書き加えた個所から右側に延びた直線の先端あたりが、概ね主郭の北側付近に相当するようです。

訪城アルバム
小坂子八幡神社
凸1 小坂子八幡神社
 訪れたのが1月の半ばでしたので、八幡神社参道の両側には初詣の幟が賑やかに林立しておりました。

境内のネコさん
凸2 境内のネコさん
 始めの方で出会ったおとなしそうなネコさんです。日向ぼっこの最中を邪魔されたようで、いくぶん警戒しているようです。

八幡神社の縁起
凸3 八幡神社の縁起
 一部城跡に関する記述も散見される八幡神社の縁起です。

小坂子城の低丘陵
凸4 小坂子城の低丘陵
 城跡東側の様子で、右側が城内で左側が城外です。以前には谷津田のような地形でしたが、現在はだいぶ転作が進んでいるようです。

城跡北東部
凸5 城跡北東部
 画像の左側が城域で、右側の耕作地が城外と考えられているのですが、現状ではその比高差は2メートルあるかないかというものでした。

城跡東側の対岸
凸6 城跡東側の対岸
 別郭の出城ともいわれている対岸の丘陵ですが、耕地化と宅地化などにより、その面影を感じることは難しいように思われました。

城跡の北端付近
凸7 城跡の北端付近
 城跡の北端部に残る土塁跡のような地形で、中心部の主郭方面に向かって緩やかな下り坂となっています。

主郭付近
凸8 主郭付近
 城跡西側の市道沿いから撮影したもので、画像中央の辺りが主郭部のように思われます。

古い城址の標柱
凸9 古い城址の標柱
 大分標柱の木材が劣化しているらしく、鉄パイプにより補強されておりました。画像右下の市道からキョロキョロと周辺を眺めながら歩いていて見つけたものですが、八幡神社境内側からは後ろの木の陰になり見えません。

境内のネコさん
凸10 境内のネコさん
 帰路も八幡神社の境内に戻ったところ、別のネコさんに遭遇しましたが、不審者を監視するが如くの眼光の鋭いいくぶんワイルドな風貌のネコさんでした。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集第3巻」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社)
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会)

歴史・郷土史関係
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「関東戦国史と御館の乱」(2011/洋泉社)
「戦国関東の覇権戦争」(2011/洋泉社)
「戦国北条氏と合戦」(2018/戎光祥出版)
「戦国期上杉・武田氏の上野支配」(2010/岩田書院)
 ⇒著者である栗原修氏による「厩橋北条氏の存在形態」「厩橋北条氏の族縁関係」などの論考が収録されている。
「前橋市史第1巻」(1971/前橋市)

史料、地誌、軍記物
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
 「上毛古城塁址一覧」(山崎一氏/編纂)

その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もある。
前橋市公式HP


更新記録
・2019年1月21日 HPアップ
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