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群馬県昭和村の城館索引へ戻る 加藤丹波守腹切石 加藤丹波守腹切石のロゴ 加藤丹波守腹切石
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2017年11月29日のブログ 阿岨城 
所在地
 群馬県利根郡昭和村大字橡久保
歴史、人物、伝承

森下三河守と加藤丹波守
 「加沢記」によれば、天正8年(1580)8月武田氏の意を受けて真田昌幸は上野東部に侵攻したが、その際に鎌田(森下)城主である加藤丹波守が降服して真田勢に加わった。しかし武田氏滅亡、織田信長死去後の天正10年(1582)10月には沼田領に後北条氏が侵攻し赤城山西麓の長井坂、阿岨、鎌田の各城が落城し鎌田城主加藤丹波守は壮烈な切腹を遂げたとされている。 以下、このくだりを引用する。
 「(10月)22日に鎌田の城へ須田加賀守押寄、二重三重に取巻き責めければ加藤丹波、命をかろんじ義を重んじ、木戸をかためて弓鉄砲にて防、攻入れては追出し、数刻の戦に弓おれつき、入れかわる勢はなし、是迄成りとて腹十文字にかき切りて失にけり」(加沢記/第4巻長井坂鎌田阿岨の要害合戦の項より)
 ただし「関八州古戦録」「上州古城塁記」には森下三河守の居城とし、三河守討死の様子を克明に記している。この加藤氏と森下氏の食い違いも気にかかるが、天正8年5月に沼田衆の一人である森下又左衛門に対して真田昌幸名での「宛行状」が発給されており、森下城主三河守との関連性が窺われる。その一方で加藤丹波守に関しては同時代の記録は見当たらないように思える。両者が同一人物である可能性を含めていろいろと謎の多いエピソードである。

確認可能な遺構
 伝・腹切石、文化財標柱ならびに解説板
文化財指定
 1979年3月22日指定 昭和村史跡
訪城年月日
 2017年11月29日 11時00分から11時05分 
訪城の記録 記念撮影

 住宅脇の腹切石
 城址に関連する昭和村の指定史跡であることから道すがらにふらりと立ち寄ってみました。現地に設置されている解説板によりますと、天正10年10月に森下城主加藤丹波守(真田方)が沼田領の領有を目指した後北条氏の軍勢に敗れて切腹を遂げたとされています。 しかしその内容は何分にも後年の軍記である「加沢記」の記述に基づくものであるようで、その真偽のほどははっきりとは分かりません。沼田領を巡る天正年間後半における真田氏と後北条氏による領有争いを象徴するエピソードのひとつなのだと思いました。
( 2017/12/08 )記述
加藤丹波守腹切石 ⇒ 画像クリックで拡大します
加藤丹波守腹切石 −画像A−
( 2017年11月29日 撮影 )

加藤丹波守腹切石解説板の拡大画像
訪城アルバム
加藤丹波守腹切石 ⇒ 画像クリックで拡大
河岸段丘 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 加藤丹波守腹切石
 橡久保内に所在する集落内のごく普通の住宅の敷地内に所在していました。ほぼ玄関脇といいますか、そのお宅専用の駐車場脇にありますので、できるだけ敷地内に立ち入らずに撮影方向にも配慮する必要があります。
 切腹の際に腰を下ろしたとされる腹切石は意外に小さく腰を掛けるには不向きな印象もあります。あくまでも伝・腹切石ということのようです (^^ゞ
 なお加藤丹波守が治めていたともいわれる森下城はこの西方約600mの県道255線沿いに所在しています。
凸2 河岸段丘
 阿岨城からは道のりにして凡そ2kmほどでなので、車で5分足らずの近さですが、九十九折の急坂道を比高差にして約150mを下りますので実際の距離以上のものを感じました。
 後北条勢の大軍に包囲され阿岨城を退去したとされている金子美濃守も、この辺りから夜陰に乗じて沼田城方面へと逃走したのか、後詰に来援した沼田城の矢沢氏勢はこの付近で後北条方の猪俣勢に痛撃を与えたのかなどと思いを巡らせるのにも良い場所でした。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林)
「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「群馬の古城 全3巻」(山崎 一 著/2003/あかぎ出版)

■郷土史・歴史
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)
「戦国史 上州の150年戦争」(上毛新聞社)
「両毛と上州諸街道」(2002/吉川弘文館)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「信濃真田氏 論集戦国大名と国衆13」(2014/岩田書院)

■史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)  ※諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店)  ※上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収
「戦国軍記事典―群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「関東古戦録」(2002/あかぎ出版)

■データベースほか
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース)
昭和村HPから「昭和村の文化財」

・2017年12月8日 HPアップ
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