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群馬県富岡市の城館索引へ戻る 十王山の砦遠景 十王山の砦のロゴ 十王山の砦近景
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011年12月20日のブログ 富岡城
所在地
 群馬県富岡市下黒岩字十王山、別保
歴史、人物、伝承

富岡城の烽火台とも
 富岡城の西約400m付近の比高差70mほどの小ピーク上に所在し、南西部に腰郭状の小さな削平地が付随する径30m前後の極めて小規模な砦跡である。
 山崎一氏らの見解によれば富岡城を支配した小幡氏の烽火台と推定されているようであり、尾根続きとなる北側或いは西側には本来は堀切などの普請が想定されるが、農道や耕地の整備などにより削平され、もはやそうした周辺部の痕跡を窺うことはできない。
 別名を十王山烽火台ともいう。

確認可能な遺構
 主郭、腰郭、切岸
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年12月20日 12時45分から13時10分
訪城の記録 記念撮影

 この場所も駐車スペース情報が未詳のため、最寄りのホームセンターに駐車して徒歩にてアプローチしました。高田川沿いの市道を北上すると、ほぼ正面に如何にもそれらしい地形の丘陵が目につきます。南麓を流れる高田川からの比高差は凡そ70m前後というところでしょうか。
 そのまま車道に沿って南側の迂回路を進むつもりでしたが、斜面に刻まれた九十九折りの道を発見しましたので、そのまま素直に斜面を登ることにしました。おかげで大分衰えた脚力を以てしても、約10分前後という短時間でベンチの置かれた烽火台跡へと無事に到着しました。
 南面の富岡市内方面は綺麗に伐採されているため、絶好の眺望を得ることができます。富岡城の烽火台とも伝わりますが、富岡城との間には小ピークが介在し直接視認することはできません。
また本来は尾根筋沿いに富岡城と連絡をとることも可能でしたが、現在進行中の道路新設工事により尾根筋は大きく分断されてしまいました。
( 2011/12/29 )記述
十王山の砦
十王山の砦(南西方向から撮影)
( 2011年12月20日 撮影 )
訪城アルバム
遠景
北東方向から
凸1 遠景
 南麓を流れる高田川の河川敷付近より撮影したものです。「電子国土」などの情報によれば、高田川からの比高差は凡そ70mほどを測ります。斜面の傾斜角度は40度前後と急峻なため、南方からの侵入は困難を極めます。
凸2 北東方向から
 北東側から撮影したものですが、生憎と太陽が雲の中に隠れ寂しげな画像となってしまいました。現状はミニ公園のような景観となっており主郭には小さな石祠とともに古びたベンチが一脚だけ設置されておりました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)

■郷土史・歴史
「富岡市史 自然編、原始・古代中世編」(1987/富岡市)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収

・2011年12月29日 HPアップ
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