凸富岡城の烽火台とも 富岡城の西約400m付近の比高差70mほどの小ピーク上に所在し、南西部に腰郭状の小さな削平地が付随する径30m前後の極めて小規模な砦跡である。 山崎一氏らの見解によれば富岡城を支配した小幡氏の烽火台と推定されているようであり、尾根続きとなる北側或いは西側には本来は堀切などの普請が想定されるが、農道や耕地の整備などにより削平され、もはやそうした周辺部の痕跡を窺うことはできない。 別名を十王山烽火台ともいう。
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