凸富岡氏発祥の地とも 鏑川の支流である高田川北岸の比高差60から70mほどの丘陵地帯に所在し、西方約400メートルの地点には十王山烽火台も所在している。 県道46号前橋安中富岡線の延長工事により、平成22年度に発掘調査が実施され複数の郭と堀切などから構成される連郭形式の山城であったことが判明した。 また「日本城郭全集」によれば、永享12年(1440)の結城合戦の際に結城持朝の子である太郎持光が、落城した結城城から逃れて富岡に隠れ富岡主税介と号したという。なお後に富岡氏は延徳元年(1489)邑楽郡の小泉城へと本拠地を転じたとされているが、これらの経緯詳細については諸説があるようで不明な部分も多い。
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