凸委細不明の城郭 西御荷鉾山(標高1286m)から南東方向に派生した尾根筋の肩に所在し、霧の城から見た場合には東方約2km付近に位置する標高約千mの山城である。 出典は「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)に収録されている「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会による調査報告書)によるもので、「万場町誌」および「多野藤岡地方史」にも収録されていない城郭である。 同報告書によれば存続年代を16世紀と推定し、近年のゴルフ場(かんなゴルフ倶楽部)の建設により消滅したとされているが、外形上からは稜線そのものは概ね残存しているものと推定される。 なお、大字黒田に所在する一夜ヶ城(別名千軒山城)とは全く別の城郭とされている。
( 2008/10/27 ) 凸 消滅した山城と気力・体力 御荷鉾スーパー林道のドライブの途中で立ち寄ろうと目論んでいましたが、霧の城での所要時間の余裕を考慮してあくまでも遠景の撮影のみに止まることになりました。従ってゴルフ場の建設に伴い消滅したとは言われているものの、果たしてどの程度まで地形が改変されているかについては、城郭としての歴史的背景と同様に委細不明です。 恐らく尾崎喜八文学碑の南側尾根筋をそのまま南東方向に辿れば到着するものと推定されます。これが30年前ならば1時間半もあれば踏査時間を含めて楽々往復できたものを...いつの間にかそのような若さ溢れるような気力・体力には縁のない年代となっておりました
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