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群馬県神流町の城館索引へ戻る 一夜ヶ城 一夜ヶ城 一夜ヶ城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/04/21のブログ 霧の城 
所在地
 群馬県多野郡神流町大字生利(しょうり)
歴史、人物、伝承

委細不明の城郭
 西御荷鉾山(標高1286m)から南東方向に派生した尾根筋の肩に所在し、霧の城から見た場合には東方約2km付近に位置する標高約千mの山城である。
 出典は「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)に収録されている「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会による調査報告書)によるもので、「万場町誌」および「多野藤岡地方史」にも収録されていない城郭である。
 同報告書によれば存続年代を16世紀と推定し、近年のゴルフ場(かんなゴルフ倶楽部)の建設により消滅したとされているが、外形上からは稜線そのものは概ね残存しているものと推定される。
 なお、大字黒田に所在する一夜ヶ城(別名千軒山城)とは全く別の城郭とされている。

確認可能な遺構
 なし(未踏査のため不明)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年4月21日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/10/27 )
 消滅した山城と気力・体力
 御荷鉾スーパー林道のドライブの途中で立ち寄ろうと目論んでいましたが、霧の城での所要時間の余裕を考慮してあくまでも遠景の撮影のみに止まることになりました。従ってゴルフ場の建設に伴い消滅したとは言われているものの、果たしてどの程度まで地形が改変されているかについては、城郭としての歴史的背景と同様に委細不明です。
 恐らく尾崎喜八文学碑の南側尾根筋をそのまま南東方向に辿れば到着するものと推定されます。これが30年前ならば1時間半もあれば踏査時間を含めて楽々往復できたものを...いつの間にかそのような若さ溢れるような気力・体力には縁のない年代となっておりました

「一夜ヶ城」東側からの遠望 ⇒ 画像クリックで拡大します
林道からの遠望(画像中央部付近と推定)
( 2008/04/21 東御荷鉾山手前の林道より撮影 )
訪城アルバム
標高1014mの投石峠(投げ石峠) ⇒ 画像クリックで拡大します
尾崎喜八文学碑の解説板 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 投石峠
 東西御荷鉾山のほぼ中間点に所在する標高1015mの「投げ石峠」とも呼ばれる峠。東方約2kmには妹ヶ谷城、北西約1.5kmには鼠喰城の両城が御荷鉾山北側の山中に所在していますが。
 なお一夜ヶ城はこの峠のほぼ南1km足らず、標高1286mの西御荷鉾山の山頂から南東方向に張り出した尾根筋の先端部付近に所在しています。
凸2 尾崎喜八文学碑解説板
 西御荷鉾山の南側を通行する林道が大きくヘアピンカーブを描く個所に所在。この尾根筋に沿って直線距離にして約1km、比高差で140mほど下っていけばゴルフ場の最上部の尾根筋に到達するものと推定されます。
 一見した限りでは踏跡はおおむね続いているようにも見えましたので、折を見てそのうちに...

尾崎喜八の文学碑 ⇒ 画像クリックで拡大します
「霧の城」へと向かう稜線から眺めた「一夜ヶ城」方面 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 尾崎喜八文学碑
 解説によれば尾崎喜八(1892-1974)は自然と音楽をテーマとした白樺派の詩人。旧万場町にかかわりの深い「神流川紀行」を上梓したことからこの文学碑が建立されたとのことです。
 何処かで聞いた名前かと...あの第9の本邦初の翻訳者でもありました(恥)
凸4 西側からの遠望
 上記の記念写真画像の丁度反対側にあたる西側の「霧の城」へ向かう見通しの良い痩せ尾根付近から撮影したもので、画像中央のやや右側に見えるゴルフ場の最上部辺りと推定されます。
 西(手前)に気奈沢川、東に入沢川の深い谷に挟まれた峻険な尾根筋の先端部に所在しておりました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)

■郷土史
「万場町誌」(万場町)、「多野藤岡地方誌 総説編・各説編」(1976/多野藤岡地方史編集委員会)
 なお現時点で神流町(旧万場町・旧中里村)に所在する城館に関して、「群馬県文化財情報システム」(群馬県内の文化財について網羅されたデータベース)には一切の掲載がありません。

・2008/10/27 HPアップ
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