凸小幡氏の出城とも伝わる 鏑川と高田川によって鋭利に削り取られた比高差12mほどの断崖を有する段丘の辺縁部に所在しているが、その築城などの歴史的な経緯については、史料上では余り明確であるとはいえない。城跡の規模等は本来は東西約100m、南北約80mほどの方形館であった模様である。 「角川日本地名大辞典 群馬県」に収録されている「星田」の項の記述によれば、僅かに小幡氏の出城であったとの伝承が残されているらしい。なお、16世紀中頃の寛文郷帳によれば石高は250石余り(田方107石余、畑方142石余)であり、星田の地を拠点とした在地領主の存在は考えにくく、小幡氏の出城説は存外妥当なのかも知れない。
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