群馬県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
群馬県藤岡市の城館索引へ戻る  五町田遺跡 五町田遺跡
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/10/20のブログ 下栗須堀之内 
所在地
 群馬県藤岡市下栗須五町田789−1付近
歴史、人物、伝承

下栗須堀之内との関連
 中川河川改修工事に伴い実施された1984年度の部分的な発掘調査により、中世のものと推定される薬研堀状の溝跡が検出された。これによれば堀幅と形状などから中世の居館の存在を推定している。
 板碑等の出土遺物から鎌倉・室町期と推定されているが、その具体的な年代、背景等については不詳の模様。なお発掘調査報告書にも示唆されているように、南方約200mに半ば隣接するような状態で所在する「下栗須堀之内」との関わりが想定されよう。

確認可能な遺構
 地表上の遺構は皆無
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年10月20日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/10/20 )
 予想通り収穫は限りなくゼロ
 こちらも「下栗須堀之内」(仮称)と同様に「群馬県文化財情報システム」の情報だけが頼りの場所。「水田地帯の低地+河川改修実施+上越新幹線高架橋至近」というような極めて訪城動機を欠く条件が完備。それにも拘らず立寄った理由は、「下栗須堀之内」の隣接地ともいうべき至近距離に所在し、かつ次の目的地への途中に所在しているという実に消極的事情なのでありました。
 事後収集した関係資料等によりますと、中川の河川改修事業に伴う発掘で中世城館との関わりを想起させる遺構・遺物が検出されているとの記述が。しかし、この日現地では稲刈りが終わった後のこざっぱりとした平坦な水田が大きな広がりを見せ、東方には中川が北流し北方には上越新幹線の高架橋が北西から南東方向に走るという中世城館跡とは余り縁のなさそうな光景が正しく予想通りに展開しておりました。

「五町田遺跡」 ⇒ 画像クリックで拡大します
五町田遺跡
画面左側が「藤岡台地」へとつづく緩斜面となっています
( 2008/10/20 撮影 )
訪城アルバム
「上りの上越新幹線」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「マメアサガオの変種」(推定) ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 上越新幹線
 直線コースでもあり、まさに超高速。走行音が聞こえてから3秒後位にはあっという間に目前を通過していきました。このため何度も撮影機会を逃し...って何をしに来たのか意図不明な城館探訪でありました。
 考えてみれば、この上越新幹線も一度として乗車した体験がありません。
凸2 豆朝顔(推定)の変種か
 ヒルガオ科の植物であることは間違いがないと思われるのですが、ヒルガオ、コヒルガオに比べて小型で花径は約2cmほど。アメリカアサガオでもなくホシアサガオでもなく、マメアサガオにしては花色、花径、葉形が異なり未だに悩んでおります。左側の画像の道路脇に咲いていたものです。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)
「一級河川中川小規模河川改修事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書(1)」(1987/藤岡市教育委員会)


・2008/11/02 HPアップ
トップ頁へ 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動