群馬県内の城館跡目次
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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2019年1月8日のブログ 大室元城 
所在地
 群馬県前橋市荒子町舞台
歴史、人物、伝承

経緯不詳
 「前橋市史第1巻」の記述によると、「北、西、南は自然の濠を数メートル下にめぐらし、東側にも濠があったと推定されるが今は全く不明である」とし、「東西80メートル、南北120メートルの単郭であった」という旨が記されているが、その歴史的な背景については記されてはいない。地理的には大室城の南西約1.2キロメートルに所在しているもののその関係性も不明である。
 なお「日本城郭大系第4巻」ではその巻末に掲載されているものの、疑義のある旨のコメントが記されている。一方で、その後の「群馬県の中世城館跡」(群馬県教育委員会による悉皆調査)についてはそうした表記は見られず、近年に纏められた文化財データベースである「マッピングぐんま」においても城館跡(文化財包蔵地)として掲載されている。

確認可能な遺構
 戦没者慰霊の忠霊塔が建立されているが、崖線地形以外に城館遺構は確認できない
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2019年1月8日 13時10分から13時25分 
訪城の記録 記念撮影

 築100年前後の土塁
 現地は大きな「忠霊塔」が設置されており、「林の広場」とも呼ばれている公園となっています。なお、この設置工事に関連していると思われる土塁状地形が認められるのですが、勿論近代以降の造成によるものであり、あくまでも城館地形とは直接の関係は無いものと思えます。
 1971年に刊行された「前橋市史第1巻」によりますと、台地続きとなってる東側部分にも濠があったのではないかとも推定しているのですが、現在では宅地化、道路建設などによりそうした面影は全く感じられず、唯一現在は水路となっている小流により浸食された崖線地形のみが、城館跡との関連性を窺わせるだけのように感じました。
  なお比高数メートルほどの崖線地形の先端部に所在していることから、北北東約300メートルに所在する「下境遺跡」の個所からも直接観望できる位置関係にあります。因みに、同遺跡を流れている水路はそのままこの「荒子の砦」の崖線下の小流となって下っています。
 この後、すぐ近くの「そば・うどん店」での昼食を考えたのですが、往路には開店時間前であったために入店できなかった「そば専業店」と思われる「蕎麦仙人」の方へと足を延ばして、「とろろそば大盛り税込1050円」で昼食を摂り、ほぼ払底しつつある英気を養い、大室城跡東端の水路部分を再確認して車を停めていた「大室公園」まで戻りましたので、この日の歩行距離は延べ20キロメートルとなりました。当初の予定ではこのあと二之宮赤城神社方面への移動も視野に入れてはいましたが、この日は古墳と神社めぐりなどの合間に城館跡めぐりをしていたという事情(城館跡4か所、古墳6個所、神社仏閣3か所ほか)もあり、帰宅後の整理作業を一層煩雑なものにしないよう撤収いたしました (^^ゞ
( 2019/1/13 )記述
荒子の砦
荒子の砦 −画像A−
( 2019年1月8日 撮影 )
凸画像の崖線下を流れる水路は、画像からも分かるように直線状に改修されていますが、それ以前は上記の「画像C」のように城跡の台地を取り巻くように蛇行していたようです。

荒子の砦
荒子の砦 −画像B−
( 2018年月日 撮影 )
凸荒砥史談会と荒子町自治会の皆様により設置されている城跡の標柱です。城跡としての由来、歴史的経緯などは記されてはおりませんが、初めて訪れるものにとっては実に有難い存在です。

荒子の砦の国土地理院航空写真
荒子の砦/国土地理院航空写真 −画像C−
( 2019年1月8日 撮影 )
凸砦跡と推定されている個所を南北方向に縦断する市道が建設される以前の画像ですが、この時でもすでに台地続きとなる東側の堀跡などの形跡を窺うことは難しそうです。

訪城アルバム
荒子の砦
凸1 北方からの遠景
 画像手前の水路が奥の「荒子の砦」(林のある台地)の崖線部へと続いています。

荒子の砦
凸2 北側からの遠景
 耕作地からは約5メートルほどの比高差があり、北方から続く水路は崖線下を迂回し、東側の台地続き以外の三方を囲む自然地形の濠の役割を果たしていたともいわれています。
 なお「画像C」の航空写真からも分かるように、この画像の左側の市道は戦後に新しく建設されたもので、それ以前には画像右側のような崖線地形が行く手を阻んでいたものと推定されます。

土塁のような地形
凸3 土塁のような地形
 一見土塁のようにも見える地形ですが、下記の「忠霊塔」を取り巻くように配置されており、あくまでも当該「忠霊塔」の建設に伴い造成された地形であると思われます。

忠霊塔
凸4 忠霊塔
 近代から現代の太平洋戦争までの戦没者の方々を慰霊する慰霊塔で、日本全国の各地に所在し毎年慰霊祭などの行事が行われているようです。また、こちらのように城跡などに設置されている場合も少なくないようです。
 「慰霊祭」「公園」などの関係からでしょうか、この忠霊塔北側の市道脇に10台ほどが収容可能な駐車場も併設されておりました。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集第3巻」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 掲載なし
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社)
 巻末一覧に掲載されているが「城館跡」としては疑問が示されている
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会) 掲載あり

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「戦国関東の覇権戦争」(2011/洋泉社)
「戦国北条氏と合戦」(2018/戎光祥出版)
「上杉憲政」(2016/戎光祥出版)
「増補改訂戦国大名と外様国衆」(2015/戎光祥出版)
 白井長尾氏に関する論考及び牧和泉守に関する「石川忠総留書乾」の抜粋などが収録されている。
「戦国期上杉・武田氏の上野支配」(2010/岩田書院)
「前橋市史第1巻」(1971/前橋市)

史料、地誌、軍記物
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
 「上毛古城塁址一覧」(山崎一氏/編纂)

その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立ちこの「荒子の砦」も掲載されている。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もある。
「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクションより ※ダウンロード可能)


更新記録
・2019年1月13日 HPアップ
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