凸天童合戦の陣城とも 天正12年天童合戦に備え構築された陣城、或いは天童古城後の国人衆の叛乱に関わるものとも推定されている。古天童城(舞鶴山)の東、約30万年前と推定される地殻変動により生じたと出羽三森(でわみつもり)のひとつである八幡山に所在する。南北方向の尾根筋に明確な複数の郭群が残されているというが、90年代の悉皆調査報告には含まれてはいない山城のひとつ。 南麓には、天童氏9代の墓所、天正12年(1584)とされる八幡山古戦場、戦死者の墓石群も所在するとのこと。
凸 行きがけの.. ( 2010/09/29 記述 ) 午前中いっぱい時間をかけたものの、結局のところ余りの広さと見通しの悪さに天童古城全域をまわることを断念(苦笑)また、前日撮影した古天童城の全景は小雨模様で靄がかかり実に茫洋とした画像でありました。このため遠景を撮影すべく撮影ポイントをロケーションしていたところ、ふと前日に入手した資料に掲載されていた八幡山館の件を思い出し撮影したまでの事です。こうして遠望しただけでも如何にも山城に相応しい地形をしていますので、90年代に行われたと見られる悉皆調査から遺漏した理由が分かりかねます。 したがって遺構の確認はおろか、麓までも行きついておりません(汗)あくまでも次回以降の備忘録として掲載したものです。なおこの日はこのあと東根市、村山市方面へと北上していきました。
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