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山形県山形市の城館索引へ戻る 菅沢山本陣から長谷堂城菅沢山本陣のバナー菅沢山本陣付近
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/5/15のブログ
所在地
 山形県山形市菅沢
歴史、人物、伝承

長谷堂合戦の陣城
 慶長5年(1600)東国の関ヶ原合戦の舞台となった長谷堂城合戦における上杉方の陣城で、畑谷城を陥落させ狐越街道を進軍した上杉軍の主将直江山城守兼続の本陣が置かれたといわれている。
 長谷堂城の北北西約1kmの位置に所在する丘陵地帯に占地しているが、宅地開発等がすすみ陣城としての遺構はほぼ消滅しているという印象が強いように思われる。
 最上氏方の長谷堂城の丘陵地帯との間は水田地帯が広がり双方ともに見通しがよく、共に大規模な軍勢の移動については視界を遮蔽するものが介在していない。

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年5月14日 12時から12時20分
訪城の記録 記念撮影

 ( 2011/6/11 記述 )
 丘陵の上部を中心に宅地開発等が進行しているため、明確な遺構は確認できません。訪れた当時は折しも 「天地人」と直江兼続の幟が林立して大河ドラマとしての演出効果がアップされておりました。
 各所に設置された観光用の案内標識などのつくりをよくよく拝見してみますと、概ね耐用年数3年以内といった簡素な構造が見受けられ、必要以上の設備投資を抑制する意図が垣間見られると同時に、早くも大河ドラマが終わったあとの寂寥感を予感するのでありました。
 このあとは、周辺に所在する4ヶ所ほどの長谷堂城の合戦関係の石碑を効率的に見学しましたが、普段は分かりにくい場所かと思われますが、この年に限っては「天地人」の幟がパタパタと風にはためいており万が一にも間違い様がないのでありました。

菅沢山本陣 ⇒ 画像クリックで拡大します
菅沢山本陣
( 2009/05/13 撮影 )
訪城アルバム
菅沢山本陣と長谷堂城
本陣の標柱
凸1 対峙する両陣営
 水田地帯を挟んで対峙する長谷堂城と菅沢山陣城。設置されている赤色の幟旗は大河ドラマを意識した観光用のものですが、この日訪れていたのは平日ということもあり昼時にもかかわらず管理人のみでありました。
凸2 本陣の標識
 周囲には削平された地形も散見されますが、耕作や植林などにともなうものなのでしょうか。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)

歴史・郷土史関係
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
「直江兼続と上杉軍団」(2009/双葉社)

史料、地誌、軍記物
「奥羽永慶軍記」(2005/無明舎出版)

・2011/6/11 HPアップ
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