凸長谷堂合戦の陣城 慶長5年(1600)東国の関ヶ原合戦の舞台となった長谷堂城合戦における上杉方の陣城で、畑谷城を陥落させ狐越街道を進軍した上杉軍の主将直江山城守兼続の本陣が置かれたといわれている。 長谷堂城の北北西約1kmの位置に所在する丘陵地帯に占地しているが、宅地開発等がすすみ陣城としての遺構はほぼ消滅しているという印象が強いように思われる。 最上氏方の長谷堂城の丘陵地帯との間は水田地帯が広がり双方ともに見通しがよく、共に大規模な軍勢の移動については視界を遮蔽するものが介在していない。
( 2011/6/11 記述 ) 丘陵の上部を中心に宅地開発等が進行しているため、明確な遺構は確認できません。訪れた当時は折しも 「天地人」と直江兼続の幟が林立して大河ドラマとしての演出効果がアップされておりました。 各所に設置された観光用の案内標識などのつくりをよくよく拝見してみますと、概ね耐用年数3年以内といった簡素な構造が見受けられ、必要以上の設備投資を抑制する意図が垣間見られると同時に、早くも大河ドラマが終わったあとの寂寥感を予感するのでありました。 このあとは、周辺に所在する4ヶ所ほどの長谷堂城の合戦関係の石碑を効率的に見学しましたが、普段は分かりにくい場所かと思われますが、この年に限っては「天地人」の幟がパタパタと風にはためいており万が一にも間違い様がないのでありました。
・いつもガイド の案内図です