栃木県内市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 栃木県内市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動

素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

栃木県足利市の城館索引へ戻る 八椚城周辺 八椚城のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月7日のブログ
所在地
 栃木県足利市八椚町313付近
歴史、人物、伝承

八椚氏の居城とも
 田代善吉氏の「栃木県史」の記述によれば、天正年間に足利長尾氏が佐野氏に対して備えたものであるとしている。
 しかし、文明年間に記された「松陰私語」によると、古河公方足利成氏と山内上杉勢の軍勢が足利・佐野の地で交戦し、山内上杉氏の被官である長尾氏の攻撃により、八椚城は赤見城、樺崎城と共に落城した旨などが記されている。ただし「日本城郭大系」では必ずしもこの八椚城について同一のものとは見ていない。
 また「栃木県の中世城館跡」では、主郭を東西150m、南北100mほどと推定し、出典は不明であるが、室町時代中期に八椚弾正忠が築城したとの伝承を記している。なお、城跡の中心部には「堀の内」の伝承地名が残るという。

確認可能な遺構
 なし(確認できず)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年1月24日 15時00分から15時20分
訪城の記録 記念撮影

 「城郭大系」に掲載されている旧家の付近がかつての城跡と推定される一帯であると考えられているようです。せっかくなので、周辺の道路に沿って城跡周囲の一周を散策。
 城跡を東西に走る南北の道筋には、その形状からかつての堀跡らしい名残も感じられます。 また水田面からはおよそ高さ1m前後に盛土された宅地にも同様の印象がありますが、宅地造成に伴うものであるようにも思われ城跡との関係は分かりかねました。
 何れにしても、宅地化が進む現状ではこれ以上の成果はは望めない模様です。

( 2011/9/6 記述 )
八椚城の周辺
八椚城の周辺
( 2009年2月7日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)

・2011/09/06 HPアップ
・2019/06/11 画像ズレ補正
トップ頁へ 栃木県内市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動