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栃木県佐野市の城館索引へ戻る 椿田城 椿田城のバナー 椿田城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008年11月23日のブログ
所在地
 栃木県佐野市船津川町椿田
歴史、人物、伝承

佐野氏の支城とも
 伝承によれば、永禄3年(1560)第20代福地寧久(後の昌寧)が唐沢山城の支城として築城し、河越城、忍城、館林城に対したといわれている。しかし現存する遺構から推定する限りでは豪族の居館というのに相応しく、河越城、忍城に対抗できるような規模を有していたものとは考えにくい。
 福地氏は本姓は赤松氏とされ、福知山城主福地丹波守能久以来福地姓を名乗った。9代輝久のときに下野に移住し福地と名乗り、16代丹波守仲久の時に佐野氏の客将として当地に居住したという。
慶長19年(1614)、佐野氏改易に伴い帰農し城は廃城となった。
 別名を福地城とも。(※「佐野市史資料編1」などより)

確認可能な遺構
 水堀など
文化財指定
 佐野市指定史跡
訪城年月日
 2008年11月23日 15時10分から15時35分
訪城の記録 記念撮影

 西側を中心として良好な水堀遺構が現存していますが、堤防改修に伴い堀幅が狭められたとのことです。 城内にはかつての城主一族とのとかかわりの深い旧家も所在しておりました。次第に日も傾き始め取り急ぎ時計回りに周囲の水堀を見学して退城。
 東西約50m余り、南北約120m前後という城域の規模から見る限りでは居館を強化した館城というのに相応しいのかも知れません。なお、訪れたのは午後3時過ぎであったため、下記の史跡の標柱画像がものの見事に逆光でハレーションを発生しています。

( 2011/7/7 記述 )
椿田城付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
椿田城付近
( 2008年11月23日 撮影 )
訪城アルバム
十一面観音福地堂 ⇒ 画像クリックで拡大します
西側の水堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 十一面観音福地堂
 福地氏歴代当主の危難を除き、その信仰をあつめたという十一面観音堂。
凸2 西側の水堀跡
 西側の才川の河川改修の際に堀幅が縮小されたとのことです。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「とちぎの古城を歩く」(2006/塙静夫/下野新聞社)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)
「佐野市史 通史編上」(1978/佐野市)、「佐野市史資料編1」(1975/佐野市)

・2011/07/07 HPアップ
・2019/06/12 画像ズレ補正
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